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完璧主義の自分を助ける「まぁいいや」の精神

今週は連日帰りが遅い。
新年度で、しかも職場環境が変わってタスクが増えたため。

だけど身体の疲れはあまり感じない。
おそらく気が張っているからだろう。

と思ったら今日の帰りに忘れ物をした。
めったに忘れ物をしないのに、よりによっていつも持ち歩くものを忘れた。

こんなとき、以前の私なら1人で凹んでた。
「いつも使うものを忘れるなんて、自分はなんてダメなやつなんだ」

・・・めんどうくさい人だ。

私はもともと完璧主義者。
なにかひとつでもうまくいかなければ「ダメなやつ」と凹む。
そんな私を助けてくれるのは「まぁいいや」と適当な気持ちになることだ。

完璧主義者でミスを許せなかった私

完璧主義者で几帳面。
いつからそうなったのかわからないけど、子どものころから異常に拘りが強かった。

負けるのは嫌いだし、うまくできないと腹が立つ。
テストで良い点数を取っても100点じゃないと満足できない。
運動など苦手なことはそもそもチャレンジしなかった。

それはつまり完璧「主義」だったから。
できていない自分が許せないのだ。

この考え方は非常に面倒くさい。
物事がうまく行ったとしても「あのときこうすればもっと良かった」と言う。
もちろんそれが成長につながることもあるけれど、大抵は成功の喜びを自分で勝手に小さくするだけだ。

そんな私は「ミス」をするのが大嫌い。
たとえそのミスが致命的じゃなくてもミスをする行為自体が嫌なのだ。

だからこそ忘れ物なんて我慢できない。
「なんて自分はダメな奴だ」と思う。
その日の思い出が全て「忘れ物」に支配される。

「まぁいいや」の適当精神が私には必要だ

だけど年齢を重ねるごとに「まぁいいや」と思えるようになった。
「まぁいいや」と言うと適当な印象を受ける。
だけど完璧主義の私にはそれくらいがちょうどいい。

そもそもミスをいつまでも忘れられないのは、他に考えることがないからだ。
言い換えると要するにヒマなのだ。

それだったら「まぁいいや」と思って別のことをしたらいい。
他のことに集中しているうちにいつの間にかミスを忘れる。

もちろん夜になったら思い出すのだけど、ミスした直後のような悲壮感はなくなっている。
忘れ物をしても「まぁ明日取りに行けばいいや」と冷静に考えられる。

あ、でも明日の朝から必要なんだった。
・・・まぁいいや。

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