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「居ること」に拘って休まなかった昔。「結果」に拘って休めるようになった今。

最近は気温の変化が激しくて周りで風邪が流行っている。
そして私もその流行に乗ってしまったらしく、体調不良で土日はほとんど寝ていた。

体調が悪いと思考力が落ちる。
思考にモヤが掛かった感じでまとまらない。

体調が悪いときのパフォーマンスは最大でもだいたい70%、普段は50%くらい。
資料作成とか頭を使う系の仕事は特にパフォーマンスが下がる。

そんなときは「さっさと休んで治し、万全の状態で復帰する」ほうがよい。
だけど以前の私は「休む」という選択ができなかった。
今日はそんなお話。

能動的に「休む」ことを選べなかった昔

仕事には重要な顧客との商談とか役員への報告などの「どうしても休めない案件」もある。
いまは感染症対策でかなり休みやすくなったけど、それでも何とか参加する人が多いと思う。
ちなみに今でも私自身、「どうしても」という案件は何とかして参加する。

一方ですべての仕事が「どうしても休めない案件」なわけがない。
だけど以前の私はすべての仕事で休むという選択ができなかった。
たとえ代理が立てられる会議だとしても、俗にいう「雑用」だとしても、予定が入っていたら休まず参加した。

その理由はシンプルで「休む」という選択をできなかったからだった。
休むためには関係者に欠席の連絡をしなければならない。
それを言い出せなかったのだ。

「38℃の熱が出た」とか明確な欠席理由があれば言える。
だけど「何となく体調が悪い」ことは言えなかった。
「急に休んだらどう思われるかな」という不安と「別に熱があるわけではないのに休むのか」という自分を責める気持ちが強かった。

「参加する」ことじゃなくて「アウトプット」にこだわると休めるようになった

振り返ると、昔の自分は「周りの眼」と「参加する」ことに拘っていたと思う。
その場に居るということが目的だったので欠席したくなかった。
言い換えると「その場に参加すれば良い評価になる」と思い込んでいたのだ。

だけど自分の職階が上がっていくと、段々明確な成果を求められるようになる。
もちろん結果を出すまでのプロセスも見てくれるけど、最終的には成果が重要だ。

そんな立場に置かれ続けると、段々「参加する」ことから「成果を出す」ことを重視するようになってきた。
そして成果を出すためには頭が働かない状態でダラダラやるのは非効率だとやりながら気づいた。

結果にこだわるようになると、色々気にならなくなる。
しかも世の中が「体調不良のときは無理せず」という流れになってきたため、休むことのハードルも下がった。

そうして何回も「休む」経験を積むことで、今では当たり前のように休めるようになった。
つまるところ「休む」という選択に慣れたのだと思う。

というわけで、土日にやりたいことは色々あったけど今回も「休む」ことを優先してゆっくり過ごした。
葛根湯と麻黄湯が思ったより心強い味方だった。
これからは常備しておこう。

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