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浦島夜想曲(第8話)二日目

 起きたらまず朝風呂。温泉旅行はこれがあるからイイんだよね。昨日は露天風呂だったけど、今日は大浴場。これが槇風呂で気持ちイイのよ。泉質も滑らかでお肌もツルツルする感じ、湯の花もプカプカと。龍神温泉は美人の湯として有名だけど、看板に偽りなしだわ。

 お風呂の窓も大きくて開放的。一泊で終わらせるにはもったいないぐらい。ノンビリつかっていたらユッキーとコトリちゃんがなにやらポーズを。
 
「シオリちゃん、撮って、撮って」
「シオリなら許す。ミサキちゃんも、シノブちゃんもどう?」
 
 そしたらシノブちゃんと香坂さんは口をそろえて、
 
「結構です。一緒にしないでください」
 
 悪いけど防水カメラは持って来てないよ。部屋に帰ると朝食、ここは朝食も部屋食なんだ。食事が終わると出発準備なんだけど、みんな支度が早いわ。言っちゃなんだけど、みんな肌が若くて綺麗なものだからほんの薄化粧。
 
「コトリ、化粧は?」
「メンドクサイ」
「あら、イイの。だったらイイ男が出てきたら、わたしのものね」
「やっぱり化粧しとく。シオリちゃんもおるし」
 
 おいおい、そりゃ未亡人だから参加資格はあるだろうけど、八十のババアだよ。でもね、どこかで枯れ木が勢いを盛り返してる気がしてるの。もっともカズ君を裏切る気なんて毛頭ないけどね。
 
「コトリちゃん、旅の栞には今日は天誅倉に行ってから熊野古道ってなってるけど」
「そうや、世界遺産やで」
「どうやって行くの?」
「それは行ってのお楽しみ」
 
 またもや歩き。荷物を抱えて三十分はちょっときつかったけど到着。こんなところからどうするかと思ってたら、
 
「じゃ~ン、貸し切りバスよ」
「コトリ社長、貸し切りバスにされるんでしたら、わざわざ荷物抱えて、これだけ歩かなくとも」
「ミサキちゃん、歩いてこその発見があるのが旅行やで」
「それなら荷物は置いといてバスで引き返したら良かったじゃないですか」
 
 香坂さんの言う通りだわ。そしたらコトリちゃんは、
 
『♪人生、楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る』
 
 これって水戸黄門じゃん。
 
『歩いてゆくんだ、しっかりと
自分の道を踏みしめて』
 
 そしたらユッキーが、
 
「御老公様、いざ参りましょうか」
「御老公って、誰よ!」
「天下のフォトグラファー、加納志織公である。皆の者、頭が高い」
 
 そしたら残りの三人が、
 
「へ、へい」
 
 即興でそこまでやるか。なんとなく誤魔化されてバスへ。二十五人乗りのサイズだけど、とにかく乗客が五人なもので、まさに広々。さらにガイド付き。
 
「みんないる」
 
 五人しかいないから見ればわかるはずだけど、
 
「よっしゃ、出発」
 
 なかなかおもしろいガイドさんでしたが、なにか不思議そう。途中で、
 
「こんなにお若いグループと思いませんでした」
 
 でしょうね。たった五人でバスを貸切にして移動する人なんて少ないでしょうし、そのうえ見た目の若さ。
 
「同窓会ですよね」
「そやで、見てみて」
 
 例の染め抜きの旗です。
 
「高校のクラス会ですね。良かったら今のお仕事を教えて頂ければ」
「この四人が会社員やねん」
 
 会社員・・・間違いじゃないけど、
 
「こっちがフォトグラファーやってはる」
 
 そしたら、わたしの顔をマジマジと見て、
 
「あの、その、間違っていたらゴメンナサイ。ひょっとして、加納志織さん。とっても似てられるもので。でも違いますよね」
 
 ここはどうしようと思っていたら、コトリちゃんのノリは軽すぎる。
 
「そやで、世界一のフォトグラファーの加納志織や。よう知ってはるな」
「私も写真が好きで、大ファンですから。でも、ちょっと待ってください、加納さんは異常に若く見えるので有名ですが、いくらなんでも・・・御引退されてから五年ぐらいは経つはず」
「そやで。正確には六年や」
「で、皆さまは同級生って・・・」
 
 どうするのかと思っていたら、
 
「信じるも信じないも自由やけど、信じたらサインぐらいもらえるかもよ」
 
 そうやって笑い飛ばしながら二時間近いバスの旅。途中から大カラオケ大会になりました。熊野古道のスタートの発心門王子に着いた時にガイドさんは悩みながらも、
 
「良かったらサイン頂けますか」
 
 色紙持ってたんだ。ここはノリで書かないといけないだろうなぁ。ま、サインぐらいイっか。
 
「ありがとうございます」
 
 荷物はどうするのかと思ってたんだけど、なんとそのまま宿まで運ぶようです。さらに、
 
「はい」
 
 渡されたのがリュック。
 
「水筒とお弁当が入ってるから。そやそや帽子も入ってるよ」
 
 なんと手回しの良いこと、
 
「ところでコトリ、どこまで歩くの?」
「そりゃ熊野本宮まで」
「どれぐらいかかるの」
「七キロぐらやから四時間ぐらい」
「案外近いのね」
 
 近くないって思ったけど、熊野古道の雰囲気を味合うのだったら、それぐらいは必要かも。でもさぁ、コトリちゃんも敬老精神がないよなぁ。八十のババアにそれだけ歩かせるか。朝も歩いてるし、昨日もかなり歩いてるし。
 
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。歳はそうかもしれんけど、体は見た目通りに若いで」
 
 それはわかる。カズ君もこれにはビックリしてた。こう言われたっけ、
 
『シオは見た目だけやなくて、どっこも歳とらへんから腰抜かすわ。この調子やったら死なへんのんちゃう』
 
 マジでそう思った時期もあったぐらい。うちのスタッフにも、
 
『先生は超人なんてレベルじゃないですね』
 
 カメラマンは体力勝負のところもあって、カメラだけではなくて重い機材も抱えての長時間の徒歩移動なんてザラなのよね。
 
「シオリちゃん、カメラ持っててだいじょうぶ」
「わたしはプロよ。これぐらいのカメラ一つぐらいじゃ荷物のうちに入らないわよ」
 
 実はこの道も撮影に来たことがあるんだ。なんか懐かしいな。トビキリのモデルが四人もいるから撮りがいがあるし、楽しい。
 
「シノブちゃん、ちょっと右上の方を見る感じで、そうそう、少しだけ視線を下げて。ちょっと物憂い感じをしてくれる。そうよ、そうよ・・・」
「ユッキー、気持ちうつむき加減で。そこまでうつむいたらうつむきすぎ。そうそう、そこから左側に軽く視線を流して。そうそう・・・」
「だからコトリちゃん、棒立ちじゃなくて・・・ちがうよシナ作るんじゃなくて、もっと自然な感じで。右手はもうちょっと上ぐらい・・・だから、そこでゲラ笑いをしたらダメだって・・・」
「香坂さん、その業務用の笑顔はダメだって。もっと心からの、そうねぇ、旦那さんにプロポーズしてもらった時の笑顔。そんなもの無理ってか、じゃあ、お誕生日のプレゼントをもらった感じ。はいはい、良くなって来たよ・・・」
 
 気が付いたら仕事してた。途中でお弁当になったんだけど、
 
「これは立派ね」
「そらそうや、宿の人に頼んどいたから。龍神温泉にホカ弁なかったし」
 
 おいおい、ホカ弁あったらそっちかよ。四時間タップリかかって熊野本宮に。お参りして写真撮って。
 
「ところでコトリちゃん、リュックにバスタオルも入ってるけど」
「それは今からのお楽しみ」
 
 また歩きかと思ってたら路線バス。
 
「わかった、今日の宿は書いてなかったけど、サプライズで川湯温泉で温泉掘りやるとか」
「そっちも悩んでんけど」
 
 バスは川湯温泉を通り過ぎ湯の峰温泉に。ここは来たことがなかった。
 
「うわぁ、これぞ温泉って感じ」
「そやろ、そやろ。川湯じゃホテルみたいで愛想なくて」
 
 バスを降りたわたしたちが連れて来られたのは公衆浴場。というか狭い川原にある掘立小屋のようなもの。
 
「ラッキー、次には入れるで」
「ここに入るの」
「そや、つぼ湯いうて、なんと世界遺産やで」
 
 つぼ湯の上にある屋根付きベンチで待ってました。前の人があがってきたので河原の方に降りると、脱衣場があったのですか、
 
「狭いね」
「二人用ぐらいやから、ちょっと我慢して」
 
 なんか岩をくりぬいたような浴槽があるのですが、二人も入ると満員。ジャンケンで勝ったわたしが香坂さんと入ったのですが、これが結構深くて、
 
「熱い」
 
 どうも浴槽の底から湯が湧き出ているようですが、水を足して行かないと、
 
「熱い」
 
 でも気持ちイイ。これこそ温泉って感じ、
 
「出たら着替えて上で待っといて」
 
 一組三十分らしくて、ホントにつかるだけだったけど大満足。そこから土産物屋で生卵を買って、
 
「やっぱり」
「温泉に来てこれをやらないと」
「来た意味がない」
 
 これも河原にある湯筒で温泉卵。お塩かけて美味しかった。
 
「ここが今日の宿のあずまやさんよ」
 
 ほぅ、純和風というか、湯治宿の雰囲気を残してるというか、
 
「コトリちゃん、センス良いね」
「そらそうや、ちゃんとやらんとミサキちゃん怖いし」
「ミサキは怖くありません」
 
 部屋に案内されたのですが、
 
「この部屋も立派だね、八畳六畳の二間続きじゃない」
「これって高野槇よね」
「その前に風呂よ、風呂」
 
 さっきのつぼ湯はつかっただけですから大浴場に、
 
「ここも全部高野槇みたい」
「リッチだねぇ」
 
 今日は良く歩いたからゆっくりつかる風呂が気持ちイイわ。
 
「こっちに蒸し風呂もあるよ」
「サウナじゃないの」
「う~ん、釜風呂やけど和風サウナってところかな」
「この後は露天風呂で〆」
 
 風呂上がりの休憩所で一服してから部屋に戻ってしばらくすると夕食。懐石ですが、
 
「わぁ、シャブシャブもあるじゃないの」
「美熊野牛っていうて、この辺でしか食べられへんもんらしいで。それに普通のシャブシャブないねん」
「どこが違うの」
「温泉シャブシャブやねん」
 
 とにかくこの五人組は食べる食べる。やると思っていたら、
 
「シャブシャブ追加五人前」
「コトリ副社長、五人前でイイのですか」
「そうよ、そうよ、ここでしか食べられないのよ」
「ほんじゃ十人前」
 
 お酒の方も今日は日本酒をメインにしたいみたいで、仲居さんに、
 
「太平洋ってのある」
「はい、ございます」
「大吟醸?」
「はい、そうです」
「一升瓶ごと冷えてる?」
「はい」
「それごと持って来て」
 
 仲居さんは目をシロクロさせていましたが、一升って言っても一人二合ですから、
 
「すみません、瓶ごとお代わり」
 
 じゃかすか飲んで、食べて、しみじみ感じています。生きてるってイイなって。そこからユッキーとコトリちゃんが街を歩いてくると言いだし、香坂さんが付いて行ってしまったのでシノブちゃんとおしゃべり。
 
「ユッキーやコトリちゃんって、仕事している時もあんな感じなの」
「コトリ先輩は近いところもありますが、社長は違います」
 
 シノブちゃんは含み笑いをしながら、
 
「氷の女帝です。あんな楽しそうな笑顔を見たら社員なら気絶すると思います」
「そんなに怖いの」
「目の前に立っているのも大変なぐらい」
「あははは、氷姫なんだ」
「加納さんは知っておられるのですね」
「そりゃね、クラスも一緒だったし」
 
 シノブちゃんは、仕事でユッキーのことをあれこれ調べた事があるみたいで、
 
「聞いてもイイですか」
「なに」
「そもそも社長と山本先生の出会いってなんなのですか。高校時代に漫才コンビをやってたのはわかったのですが・・・」
 
 実はわたしも知らないし、カズ君でさえ知らないって言ってた。あのスタンツの漫才からユッキー様になったのはみんな知ってるけど、それ以前はわかんないのよね。
 
「漫才コンビで愛を育んだとか」
「それが、そうじゃないのよ」
 
 カズ君が高校時代に熱中して付き合っていたのは、みいちゃん。みいちゃんも、カズ君も、わたしも幼稚園から高校までずっと一緒。そう言えばカズ君はわたしを初恋の人ってしてたけど、中学ぐらいで棚上げしてあきらめたって言ってたよね。

 たぶんだけど、わたしを諦めた後にターゲットにしたのが、みいちゃんで良いはず。そうなると中学時代か、高校に入ってすぐぐらいのはず。そうだ、そうだ思い出した。みいちゃんは一年の時は一組、そうカズ君と同じだったはずよ。遅くともそれぐらいからでイイはずよ。

 カズ君とみいちゃんが付き合いだしたのは二年の時、それも体育祭が終わってからだった。この交際は長くて、みいちゃんの大学卒業まで続いてるんだよ。
 
「では、社長の一方的な片思いとか」
「そうとしか考えられないのだけど」
 
 シノブちゃんにはわかりにくいと思うけど、高校時代のユッキーはカチカチの優等生の上に氷姫。さらにだよ、
 
『色恋に無縁の笑わん姫君』
 
 ここまで言われてたんだ。あれだけユッキー・カズ坊の席替え漫才やって、あれだけ一緒にいても恋愛関係になるなんて誰も想像すら出来なかったぐらい。
 
「山本先生は、もてたのですか」
「カズ君が? もてないよ。お調子者扱いだったもの」
「でも社長も、コトリ先輩も、加納さんも」
「人生はだからおもしろいと思うよ」
 
 カズ君の魅力か。あんなイイ男は他にはいないと思ってる。人は見た目じゃないのよ。そりゃ、見た目も良い方がイイに決まってるけど、最後はハートよ。そのハートが見えるかどうかで人生は変わると思ってる。
 
「最初にカズ君が見えたのはユッキーでイイはずよ。よく高校時代に見えたものだと思ってるよ」
「ではコトリ先輩は?」
 
 これも実ははっきりしないのよね。カズ君とはユッキーとのロマンスは何度か話をしてくれたけど、コトリちゃんとのは話したがらなかったのよ。でもコトリちゃんにも想いを残していたのは誘拐事件の時によくわかったもの。そんなことを話している最中に三人組が御帰還。
 
「お店屋さん開いてなかったね」
「でも夜の温泉街の雰囲気良かったで」
 
 そこからビールで酒盛り、
 
「えっ、コトリとカズ君との馴れ初めってか。シオリちゃんは聞いてなかったの」
「そうなのよ、いっつも誤魔化されてた。せいぜいあのバーで突然出会ったぐらい」
「ユッキーは聞いてる?」
「わたしも聞いてない。とにかく時間が短かったし」
 
 コトリちゃんはしんみりと話しだしました。
 
「カズ君がユッキーにもシオリちゃんにも話してないのやったら、話さん方がエエかもしれへんけど、コトリも宿主代わりしたし、カズ君も天国に行ってもたから時効やからエエかな」
「そんなに凄い話なの」
「うんにゃ、たいした話やないわ。ユッキーもシオリちゃんも二年の時に日本史の班研究あったん覚えてる?」
 
 えっと、えっと、あれは二学期、体育祭の後だったはず。そしたらユッキーが、
 
「そうだった。あの時にカズ坊とコトリは同じ班だったじゃない」
「そうやねんよ」
「そこでロマンスが」
「芽生えなかったのはみんな知ってるやんか」
 
 コトリちゃんは陸上部のハイ・ジャンパー。結構な成績で秋の県大会にも出場していたぐらい。
 
「そやねん、大会があるから班研究より部活優先やってん」
「とにかく平常点なんて付かない学校だからサボってるの多かったよね」
「まあ、そうやねんけど・・・」
 
 やっと思い出した。コトリちゃんは班長だった。だって発表したのはコトリちゃんだもの。
 
「でもあの発表、なんとなく覚えてるけど、先生にもかなり受けてたんじゃない。カズ君は筋金入りの歴史オタクだったけど、あの頃からだったのよねぇ」
「まあそうやってんけど。あの時のコトリは班長のくせに部活ばっかりやってサボってて、発表しただけやってん」
「じゃあ、その時の恩返し気分がロマンスに」
「だ か ら、そうならへんかったんは、みんな知ってるやんか」
 
 そうだった、そうだった。明文館では、あの明文館タイムスのお蔭で男女の交際情報は全校に筒抜け状態だったものね。そもそもあの頃からカズ君とみいちゃんの交際は始まってるし。コトリちゃんの話は意外なところに、
 
「あの時の班研究でロマンスは生まれへんかってんけど、カズ君の研究読んで歴史ってこんなにおもしろいって思たんよ」
「なるほど、そこから二人は急接近・・・なんてなかったよね」
「そういうこと」
 
 結果的にいうとあの班研究をキッカケに二人のロマンスは芽生えもしなかったんだけど、コトリちゃんは歴女として目覚めたでイイみたい。もっとも専門で研究する程じゃないけど、歴史ファンぐらいになったで良さそう。
 
「クレイエールで歴女の会を作ったのもコトリだったけど、その頃はミーハー歴女だったかな」
 
 そんなコトリちゃんだったんだけど、歴史を好きになればなるほど、そのキッカケになった班研究が手抜きもイイところだったのに後悔し始めたらしいの。
 
「歴史をある程度知ると、あの時のカズ君の研究が、おもしろい視点なのがわかってきたんよ」
 
 いつしかコトリちゃんはカズ君ともう一度班研究をしたい夢を抱くようになったで良さそう。
 
「こんなもの普通は夢で終わりそうなものやってんけど・・・」
「そうなりそうなものだよね」
「あのバーで出会ってしまったのよ」
「そこでロマンスの火が着いた」
「うんにゃ、すぐには着かへんかった」
 
 そうだった、そうだった。あの頃のコトリちゃんは坂元と付き合っていたはず。
 
「どうだったの、やっぱり歴史研究やったの?」
「やった、やった、ガチやった。だってやで、いきなり本格的なフィールド・ワークやったし、それこそ基礎からみっちりやった」
「おもしろかった?」
「おもしろいなんてものやなかった。付いてくのは大変やったけど、もう夢中って感じ。コトリはこれがしたかったんだってわかったのよ」
 
 わたしはそこまで歴史好きじゃなかったから、カズ君の歴史談義は適当にお茶を濁したことが多かったけど、それでもおもしろかったものね。歴史好きならなおさらなのはわかるわ。ここでユッキーが、
 
「なにを研究したの?」
「一の谷」
「やっぱり延慶本」
「もち、それと玉葉が中心だった」
 
 ユッキーに聞くと玉葉は漢文で、延慶本とは平家物語の一番古いとされるバージョンで、
 
「あれ読むのは大変よ。かなまじり宣明体って言って、旧かな遣いのひらがなの洪水を読むようなものだよ」
 
 そりゃ本格的だわ。
 
「で、どこでロマンスになったのよ」
「それがね・・・」
 
 とにかく朝から晩まで一の谷を考えるぐらいにしないとカズ君の話に付いて行けなかったようなのよ。それはカズ君の歴史レベルならなんとなくわかるけど、そうなっちゃうと恋人である坂元との会話さえ味気なくなっちゃったみたいなの。
 
「ある時にコトリは気づいたの。カズ君との歴史ムックはおもしろいし、こんな歴史ムックをやるのが夢だったけど、本当の夢はカズ君と歴史ムックをして、カズ君に認めてもらうことだって」
 
 それにしても、まあ時間のかかる恋だこと。高校二年の歴史班研究がスタートとして十二年じゃない。
 
「あははは、そうやねん。それだけかかって、やっとカズ君が見えるようになったってこと。シオリちゃんはもっと短かったものね」
 
 コトリちゃんのことは笑えないかもしれない。たしかに再会してすぐに同棲を始めたけど、あれは正確に言うと同棲じゃなく同居。二年近く一緒に住んで、同棲になったのはカズ君の国試が終わって、その発表までの間だけ。ここでコトリちゃんと声を合わせて、
 
「ほんじゃ、ユッキーとカズ君の馴れ初めは?」
 
 ユッキーは意外そうに、
 
「あらシオリも聞いてないの?」
「カズ君も知らないって言ってたもの」
 
 ユッキーはかなり憤然として、
 
「カズ坊の野郎、死ぬまで思い出さへんかったんや。今度会ったら八つ裂きにして釜茹でにしてやる」
 
 うわぁ、懐かしい。ユッキー様じゃないの。まだ出来るんだ。それからユッキーは懐かしむように、
 
「入学式の日に、よそ見しててカズ坊にぶつかって転んだのよ」
「それで、それで」
「そしたら手を差し伸べてくれたのよ」
「それで、それで」
「で、手を握ったのよ」
「それで、それで」
「それから、ずっと」
 
 わたしとコトリちゃんはまたもや声をそろえて、
 
「それだけ!」
 
 ユッキーはポッと顔を赤らめて、
 
「そうよ、それだけ」
「それだけで何年よ、他の男は」
「見向きもしなかった」
「だから・・・」
「当然よ、ファースト・キッスでバージンだったよ。取っといて良かったと思ったもの」
 
 六十五年ぶりに明かされる衝撃の真実ってやつかな。そりゃ、ユッキーには敵わないな。カズ君が交通事故で入院中にユッキーの前で引き下がってしまったのは、これを感じたのかもしれない。そんなことを考えてたら、ユッキーとコトリちゃんから同時にツッコミが、
 
「でも、最後にさらっていったのはシオリだからね」
 
 まだ時効にしてくれないか。記憶を受け継ぐってこういうことかもしれない。それにしてもカズ君をコトリちゃんと争ったのは四十五年前の話よ。これをこれだけ熱く話せるって感覚が嬉しい。わたしの心は確実に若返ってる気がする。

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