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ミサトの旅(第7話)その日・・・

 しぶしぶ始めてみたけど、受験勉強中のブランクこそあるものの、錆が落ちると見る見る良くなるのはわかった。なにが良いかって、写真の考え方が自由なのよね。自由過ぎて暴走する部分もあるけど、あれは無理に矯正したらいけない部分のはず。

 矯正するんじゃなくて、もっと伸ばして、欠点を長所に変えてしまわなきゃいけないのはわかる。ミサトはそんな指導をひたすら受けたものね。新田先生はこう言ってたもの。
 
『写真の指導は、その一枚限りで考えてはいけません。一枚限りの指導では、その写真の欠点の羅列と修正に終わってしまいます』
 
 どういう事かと言えば、欠点にも大きく分けて二種類あるとしてた。一つはどんな写真を撮る時にも不要な欠点。これは修正させないと行けないって、もう一つは、
 
『使い方による欠点です。ある写真には効果的でも、他の写真では欠点です』
 
 一枚限りの指導で欠点として修正してしまうと、写真が小さくなるって仰ってたもの。そのためか新田先生もミサトの撮って来た写真を根こそぎ見ようとされてた。

 もっともだけど、高校時代のミサトは修正しなければならない欠点がテンコモリあり、さらにそれを新田先生が、重箱の隅を顕微鏡で調べるようにやられたからノイローゼになりそうだった。さらにこうとも言われてた。
 
『写真には様々なテクニックがあります。それを覚える時に表面だけなぞっては意味がありません。それを血とし肉として初めて使いこなせるようになります』
 
 この『血とし肉とし』の部分の指導は掛け値なしのもので、ミサトの命を削るぐらい強烈に叩き刻み込まれたもの。よく逃げ出さなかったものと思うもの。ちょっとでも浮ついた部分があると、
 
『こういう使い方は一文の価値も御座いません』
 
 伊吹君の写真にも欠点はいくつもあるけど、最大の欠点は背景が甘い点。これはミサトもそうだったからどれだけ絞られたことか。

 新田先生も元は西川流、それも旧制度の師範まで取得している人。西川流の基本はしっかりとした背景を作り、そこに被写体をはめ込むのよね。旧制度の師範の背景となるとまさに完璧。そんな新田先生の背景基準をモロに求められたのがミサトへの特訓だった。

 
 とりあえず伊吹君の指導は不要な欠点の削ぎ落とし。これはミサトにもかなり出来るからガリガリと言う感じで削れるのだけど、
 
「尾崎先生もこうやって指導されたのですか?」
「先生はやめて、ミサトでイイよ」
「ではミサト先生」
「もう一回、先生と呼んだら殺す」
 
 週に二回程度のサークル活動日にやったぐらいじゃ効率悪いのよね。たぶん伊吹君に必要なのはミサトが高一の正月からやられた地獄の特訓クラス。いやそれ以上の気がする。
 
「やはり背景が甘いね」
「すみません」
「すみませんじゃないの。すみませんを言わないようにファインダーに集中して、命がけでシャッターを切るの」
 
 新田先生や麻吹先生の一枚にかける集中力、精神力は鬼気迫るものがあり、アシスタントに付いた時にゾクっとする殺気を感じた。プロってあそこまでするものだって。無駄な写真など一枚もなく、完成された作品の中から、さらに商品にする一枚を選び抜くのが良くわかったもの。

 ツバサ杯予選審査会の締め切りまで時間も少ないから、伊吹君にすべてを教えるのは不可能なのよね。麻吹先生や新田先生なら可能かもしれないけどミサトには無理。こういう時に麻吹先生は、その勝負に必要なエッセンスのみを選び抜いて教え込まれてた。

 伊吹君に必要なものをあえて絞ると一枚の写真に込める思いの強さの気がする。この一枚を是が非でもモノにする集中力として良いと思うけど、どうやったら教えられるのだろう。

 伊吹君も前向きに取り組んでいるのはわかるけど、ミサトからすると心構えが甘すぎるのよね。新田先生も口癖のように言っておられたけど、
 
『シャッター・チャンスは唯一度と思いなさい。それが外れたら、撃ち殺されると思うのです。何度も無駄撃ちするうちにいつかは当たるなど考えてはなりません』
 
 それが自然に出来ているのがオフィスのプロ。一見、無造作に切っているように見えるシャッターに、命を懸けるほどの気迫が込められている。それに較べたら、伊吹君のシャッターは大甘も良いところ。あれでは、命が幾つあっても足りないよ。

 今日のミサトは進歩が乏しい伊吹君に苛立っていた。どうしたらその心構えを伊吹君に伝えられるかわからないミサトにも苛立っていた。こんなの基本の『き』じゃない。どうしてわかってくれないのよ。
 
「甘い、甘い、甘すぎる。これで気合を入れたって言うの。ここも、ここも、ここもじゃない。ぜ~んぶ前に指摘したところ。ちょっとでも気が緩むとすぐに出ちゃうじゃない」
 
 あぁ、また戻っちゃってる。ツバサ杯まで日数も少なくなってるんだよ。それなのに、どうして同じ失敗を繰り返しちゃうの。この程度のものは、とっくに通り過ぎなきゃいけないのに何してるのよ。
 
「こんなもの、出すまいとすれば一回で修正出来て当たり前。伊吹君、やる気はあるの。写真に本気で取り組む気はあるの。まさか、この程度の写真で満足してるって言うの!」
 
 あまりのミサキの剣幕に先輩たちが、
 
「尾崎さん、それでも随分良くなってると思うよ」
「これだけ撮れたら十分じゃない」
「オレなんかどこが欠点かもわからんけど」
 
 伊吹君の表情にもちょっと不満げなものが見えたから、
 
「見といて!」
 
 今日は静物画で、喫茶北斗星のテーブルに置いたオブジェのトレーニング。
 
『パシャ、パシャ、パシャ、パシャ』
 
 お手本だからミサトの全力じゃない。伊吹君が使えるテクニックの範囲の写真。新田先生のお手本がそうだった。必ずその時点でミサトが使えるテクニックの極限でお手本を示してくれた。これを見た伊吹君が、
 
「こ、これは・・・」
「これぐらい撮れるテクニックは伊吹君にはあるの。撮れる時もあるけど、それは今ならまぐれ当たりみたいなもの。それではダメ、いつも普通に撮れてこそのテクニック」
 
 伊吹君に必要なのは、あの魂を完全燃焼させる時間。あれを持たせなきゃいけないのよ。そうじゃないから、いつまでも甘い写真に流れてしまう・・・その時にはっと気づいた。
 
「これで終りにします」
 
 ミサトは荷物をまとめると喫茶北斗星から出て行った。ドアを出る時に伊吹君の顔をもう一度見たけど心の中で呟いた。
 
『さよなら』

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