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バルカン半島の旅

夏休みを利用して、バルカン半島の4ヵ国(セルビア→マケドニア→コソボ→ボスニアヘルツェゴビナ)を周遊してきた。本当は各国について紹介したいのだけど、長くなってしまいそうなのと、それぞれ半日~2日滞在しただけで真実は見えてこない気がするので、サマリーとして纏めてみた。

(表題写真は、第一次世界大戦のきっかけになったサラエボ事件が起きた橋です。)

1.バルカン半島を選んだ理由

そもそも、なぜバルカン半島を旅することにしたのか。

それは、世界史的にもインパクトある地域であるにも拘わらず、自分自身の知識が全然無いから。旅は、「行く」と決めた時から始まっていると思っていて、①予約後から現地入り迄の時間 ②現地にいる時間 ③帰国後の時間 のそれぞれでその地域のことを調べる時間が何とも楽しい。(自分は情けなくも、縁が全く無い地域のことをモチベーション高く勉強出来るタイプではないため、旅はその地域に特化して勉強する良いきっかけになる) 

ちなみに僕が行き先を決める時は、「年齢を重ねると簡単に行けない地域」「歴史・現在・未来に強いストーリーがある地域」という軸があるのだけど、バルカンについては特に後者の意味で惹かれた。更に言えば、「意識して見ないと見えづらい地域」だとも思う。”ヨーロッパの火薬庫”と呼ばれたこの地域の旅を通じて、この地域特有の複雑なコンテクストが片鱗だけだけど理解出来た。(一緒に旅した歴史マニアの友人が色々教えてくれたのは本当に助かった)

2.興味深かったこと

1990年代に崩壊した旧ユーゴスラビアは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」(正確には少し異なるようだが)と言われており、これを聞くだけでそのコンテクストはイメージ出来ると思う。よく、「複雑な地域」と言われるけど、旅の感想として、「複雑だった・・・」と言うだけだと何か一般論だし、自分の考えや見方を言葉にすることを放棄している気がするので、自分なりにこの地域で感じたことを以下に纏めてみた。

①街に見える政治色の強さ:まずはコソボ。たびたび目にするのが星条旗・アルバニア国旗。NATO軍の国旗オブジェもあった。(何故こうなっているのかは、今回この地域の歴史を知ってよく分かった)


余談だけど、当日は野外音楽フェスも行われていて、若者が多く集まっていた。

コソボは、どんな街の様子なのか全く想像つかなかっただけに、こういうフェスが行われるくらいアメリカナイズされていたのは正直驚きだった。

ちょうどアメリカンスクールの中にも入れてもらって見学したのだが、そこに書いてあって言葉がとても印象的だった。こういう言葉で子供をある意味洗脳し続けているのがアメリカの教育なのだろうか。(アメリカの帰国子女の方、教えてください)

個人的には、真ん中の言葉が好き。John Dewy氏は20世紀前半のアメリカを代表する哲学者だとか。

続いてボスニア・ヘルツェゴビナ。

同国はボスニアヘルツェゴビナ連邦とスルプツカ共和国からなる連邦国家。紛争の着地点として、クロアチア人・ボシュニャク人がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、セルビア人がスルプツカ共和国というそれぞれ独立性を持つ国家体制を形成することがデイトン合意でなされた。スルプツカ共和国エリアに入る際にあった国旗がこれ。現地の方の話を聞いても、民族の対立が完結したとは言えなそうな様子だった。当然、ボシュニャク人にはボシュニャク人の、セルビア人にはセルビア人の言い分がある。ガイドしてくれた女性は、「ティトー大統領時代の社会主義体制の頃に戻りたいと言うシニア層は多い」と言っていた。そして「若者は、国外に出たがっている」とも。

これはオリンピックセンターの近くにある、紛争で亡くなった方々のお墓。ボスニアヘルツェゴビナの国旗が掲げられている。

②アートに見る地域性:アーティストが描く世界観には、地域毎に結構特徴があるのが面白い。去年、ルワンダに行った時からそう思い始めていて、ギャラリーを見つけると衝動的に入ってみたくなる。最も繊細な人たち(=アーティスト)のフィルターから見えるバルカン世界はどんなものなのか。

まずはセルビアの首都ベオグラードで見たこの彫刻。

人間そのもの・人の肉体に対する見方として、独自性を感じざるを得ない。(やはりユーゴ紛争の爪痕が人の精神にも影響しているのだろうか)


続いてマケドニアの首都スコピエ。

暗い気持ちになる。マケドニアは「フェイクニュースの工場」とも言われる地域がある国で、若者の失業率や貧困率はヨーロッパでもワーストクラスだとか。

勿論、たまたまこういう暗めのものに多く触れただけで、これがすべてだと言うつもりはない。けど、「喪失感から生まれる創造性」って、こういうことなんだろうなと思わざるを得ない。

そしてここスコピエには、街の至るところに銅像があった。 ここまで銅像が多いと、一つ一つのインパクトが下がってしまうのでは、と思えるくらいの数だったけど、一番大きいアレクサンドロス大王の銅像は圧巻の大きさだった。

次に”落書き”について。落書きは見方によっては、「グラフィティ・アート」と呼ばれ、芸術としてポジティブに捉えるところもあるようだけど、バルカンで見た落書きはあまりポジティブには捉えられなかったのは、自分の勝手なこの地域に対する先入観からなのだろうか。

これはベオグラードの街。


これはコソボの首都プリシュティナにある独立10周年記念モニュメント。


ボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボからの電車。

以前、ニューヨーク市長が落書きを取り締まったことでニューヨークの治安の悪さが解消された話を聞いたことがあったので、落書きと治安の関係性について調べてみると、「割り窓理論」というのが見つかった。単に落書きを取り締まるだけで治安が良くなるとは言えないのだろうけど、一つの要素としては大事な点だと思う。

余談だけど、読みづらい落書きを綺麗に変換して見え方を変えちゃうアーティストも世界にはいるみたい。


③東欧に見る難民・貧困の実態:バングラデシュや、シリアからの難民と思われる方を何度か見かけた。日本にいると中々実感として持てない難民の実態だけど、今世界では6千万人の方々が難民となっていて、これはフランスの人口とほぼ同じ。今回、二人の子供を連れた難民家族(恐らく顔つき的にもシリア)と同じバスになったのだが、小さな子供が手を広げて周囲にモノを求める姿があった。また、セルビアとコソボでは、いわゆる発展途上国で見るような子供による路上サービスが行われていた。(顔が写っていないこともあり、写真公開します)

参考まで、日本の難民受け入れに関する動向は以下の通り。自分はまだ受入是非に関する論調でポジションを持てる程深く考えられていないけど、今後よく見ていきたい分野ではある。

④紛争の爪痕:幾つかバルカンに象徴的な光景を。

NATO軍による空爆


サラエボでは、銃撃で貫通したマンションがリノベーションされて使われており、多くの銃弾の爪痕が残っている。


サラエボ五輪の時に多くの観光者を出迎えたホテル。サラエボ紛争でこのような状態になったまま、今も残されている。

3.いま思うこと

①アイデンティティとダイバーシティ:自分は何者なのか?を知ることは生きていく上で凄く大事なこと。けど、民族帰属意識が過度になると戦争の一因にもなる。ガンディーが説いた、「個々の宗教は不完全だが、真理は一つ。すべての宗教には共通する真理がある。」という考え方が僕は好きなのだが、宗教・民族・立場を超えて、多様な視点で物事を捉え、周囲と接せられるようにならないといけないと思う。そこで重要なのは、「教育」と「アイデンティティとダイバーシティのバランス」なのだろう。口で言うのは簡単だけど、難しい。

②国際社会における日本の役割:大坂なおみ選手が全米オープンで優勝したことをきっかけに、「単一民族国家日本」に関する論調があった。その時期はちょうどバルカンを旅していて、上記①にも書いた通り「宗教・民族・国家」について考えざるを得ない環境にいた訳だが、日本にいて欧米のような多様性のある価値観を持つことは簡単ではない。そうなれるように個人個人が世界を知る、歴史や宗教を勉強することが大事だとは思うけど、地政学的要素が大きく影響していることからも、島国日本に住む国民大衆がその価値観を持てるようになるにはかなり難易度が高い。では、このままで良いのかと言えばそうではない。僕は「日本は世界を最も客観視できる立場にいる」と信ずる。だからこそ本来は、様々な争いの中で世界の調整役を担えるようにならないといけない。そういった目標設定と、それに向けた努力を怠ってはいけないと感じた。(自分の場合、英語と歴史知識不足が大きな課題)

③想像力と創造力:自分は何の為に旅に出るのだろうか。そんなことを随所随所で考えながら旅をしていた。幾つか見えてきたのは、旅は想像力を養ってくれるということ。想像出来ないことは創造出来ない。今目の前に見えたものの裏にあるストーリーを探ると、「人間の思考・心理」「地政学的理由」が見えてくる。

  人はなぜ戦争するのか?

  なぜマケドニアには巨大像が沢山あるのか?

  なぜサラエボは包囲されたのか?

  なぜ社会主義国は無機質な建物を立てたのか?

何故こんなことになってしまったのだろうか、この次どうなるのだろうか。一つの事例を通じて、断片的な人間の心理や物事を動かす力学を見ることが出来る。これを繰り返しながら共通点を見出すことで、「次どうなるのか」といった想像する力が養われていくのかな。最近よくビジネス現場では、「イノベーション」「創造性」と言う言葉が使われるけど、オープンなオフィス空間にしても、オープンイノベーションと題した他社とのコラボレーションは一つのツールであって、結局個人の絶え間ない努力無くして想像力や創造力は育まれないというのが僕の考え。

③無知の知を知る:自分は何の為に旅に出るのだろうか。2つ目は、知らない世界を見せてくれることで、自分の”無知の知”を教えてくれるから。こうなると、自分の小ささや未熟さに気付き、謙虚な気持ちにさせてくれる。(日本に帰国して、「俺はよく知っている」と偉そうにしている場合ではない!!)  「サラエボにいては、給与が低い。行きたくても海外旅行には行けない。だから、ガイドの仕事をしていて世界の人に会えることが凄く楽しい。」と言っていた現地ガイドさん。何となく分かってはいたけど、直接言われると何か考えさせられる。そんな人が世界には沢山いる。いま自由に旅が出来るだけでも有難いと思わざるを得ない。そして、日本では大分少なくなりつつある戦争・紛争経験をした方々が、まだ多く残っているのがバルカンの特徴でもある。彼女たちの言葉は重い。

④世界を楽しむ為の歴史:観光に行ったときに、この建物を見て何を思うだろうか。

何だか不気味な、暗い空気が漂っていて、観光者としては一見あまり惹かれない。でもこれって、社会主義国によくあった光景らしい。「無機質な色合いは社会主義国らしさ」というを知ると、観光としても何か楽しめる気持ちになる。

世界には知らないことが沢山ある。だから勉強や旅は面白い。「勉強することで世界をより楽しむことが出来る」。そう思わされた。

⑤”いざ”という時の為に:いつも旅をする友人には「勉強したことの99%は役に立たない。それでも勉強は必要」と言われる。圧倒的な知識を持つ彼から言われると説得力がある。1%の役立つ瞬間の為に日々努力し続けること。こう言われると一瞬ヘコむけど、ロマンも感じる。いつか、仮に自分が社会的責任のあるポジションにつけた場合、自分は何かを語れる人でありたい。世界観や歴史観を自分のコトバで語れる人でありたい。強くそう思う。

⑥知識と思考の分離:いくら旅をして、勉強をしたからといって、そこで得た知識の詰込みに満足してはいけない。問や課題が設定された時、自分が元々知っていた知識だけでアウトプットしてはいないだろうか?今自分が出したアウトプットは自分で深く考えたことなのだろうか?他人の言葉をパクって語ろうとしていないだろうか?自分の言葉で語れているだろうか?自分の狭い原体験に縛られた判断をしていないだろうか?知識や経験は何か先入観を与えてしまう。それも考慮した上で、自分で深く多角的な視点で思考する習慣を持っていたいと思う。

以上。多分、有識者にとってはツッコミどころ満載な内容だったと思うけど、僕なりにバルカンの世界を描写し、感じたことを言葉にしてみた。偉そうに口で言うのは簡単だと思うので、これを一歩踏み込んで具体的なアクションにも落とし込んでいきたい。東京で過ごしていると、旅で得た大事な感覚を時が忘れさせてしまうのが恐いから。

次は今週、中国深センです。

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