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授業展開における板書の価値を思い知った話 05.06.18

「ただ書き写すだけの単純作業に時間をかけるのはもったいない」

教員となって、社会科を教えて、6年経っても板書の価値や重みに気付くことが出来なかった。

僕の基本的な武器はパワポのスライド。
視覚的にも伝わりやすくなるし、印刷して配布することでノートの代わりと位置付けていた。スライドは、両面1枚に収まるようにスライド数は必ず12ページまで。
これで板書は要らないと信じていたそんな時期だった。

しかし、今の学校に来て研究授業をし、その都度言われたのは、

「パワポは流れるからねぇ。」

アンチパワポみたいな方もいて、何度この話しを聞いたことか。でも、今思えばこの意味を勘違いしていたのだと思う。

「いや、スライドを印刷して渡してるんだから、残ってるじゃん。」そんな愚かな考え方をしていた。
 
板書は本当に要らないのか、実は有効な手段なのか、いくつか本に当たることもしたが、刺さるようなことはほとんどなかった。

でも、その後も板書論争について考え続け、ようやく1つの答えを見つけることが出来た。

それは、これまでの話の流れを明確にし、ヘンゼルとグレーテルのようにこれまでの道のりを残すことで、生徒たちの「あれ、何の話だったっけ?」を防ぐためであった。

そこから重い腰を上げて、板書をするように取り組み2年。

改めてメリットを実感する出来事があった。

見通し→探究心→理解の深化のリレー

いつも授業のタイトルを書いた後に、ポイントとして授業の核になる文章をキーワード穴埋め問題として板書する。
最初に穴埋めには何が入ると思うか発問をしてから授業が展開されていく。
この時はハッキリと正答が出てこなかったことを伝えてみた。
すると、生徒たちとしては「では一体何が答えなの?」という気持ちで見てくれる。
そして、授業の中でキーワードが出てくると、「あ!これか!」と。
授業の最後に改めて最初の穴埋め問題を埋めるように促すと、ピシャリと答えてくれた。

実は1番驚いたのはこの後のことだった。
毎日宿題として課している日記の中で、そのキーワードを初めて知った言葉として説明する生徒がいた。
「説明」は理解度の最高ランクにあると思うのだが、それを自発的に書かれていて、とても感動的であった。
板書だけの効果では無いかもしれないけど、大きなきっかけにはなっていたと思う。

きっとまだまだ他にも板書のメリットはあるだろうし、
きっと一番正しい使い方は、書いたことをその後に行き来すること。残念ながら僕にはまだそのスキルがない。
今年は板書をテーマとして授業力を磨いていきたいなと、改めて思いました。

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