『Z世代』がメディアで叩かれているが僕はむしろ優秀だと思う
こんにちは。Odaです。
僕は1991年生まれの今年32歳の世代、俗にいう「ゆとり世代」なのですが、ここ数年はネットニュースやSNSよくZ世代という単語をよく耳にします。
色々Z世代の定義について調べたんですけど、はっきりとした定義はないみたいです。
いくつかのまとめサイトに書いてあることを要約すると大体上記のような感じです。
他にもZ世代の特徴として
などが挙げられていました。
まず僕が属しているゆとり世代というのはゆとり教育という社会の方針から生まれたように、Z世代もまた社会のあり方が変化したが故に生まれた産物であることは大前提としてあります。
生まれた時からそういう環境に生まれているだけなんですから、その環境に適応した人間の特徴を孕むのは至極自然なことですよね。
なので「〇〇世代だから〜」とか「最近の若者は〜」みたいな老害的な論調は不毛だと思ってます。
そしてインターネットが急速に発達してSNSなどで個人でも何かを発信することが当たり前に出来るようになって、世の中に膨大な情報や娯楽が溢れることにより、いちコンテンツに対する希少性のようなものは間違いなく昔より薄れたと僕は感じています。
しかし、コンテンツが溢れ希少性を失う中で人々はある観念に辿り着こうとしてるように感じます。
それは「人間の時間は有限であること」
(※それを代表するような現象として、「Youtube動画や映画などは1.5倍速で視聴して時間を節約する」などは典型的のように思えます。)
堺屋太一という人が1980年代にその答えのようなものを本で出していて
「知価革命」という本の中で
これが文明の基本的な法則であると述べていました。
15年前、僕が高校生の時はスマホを持っている人は誰もいなくて全員ガラケーでした。
LINEもなかったので友達のアドレスにメールを送り合ってましたし、アプリという概念がまずなかったです(笑)
今は誰もがスマホを1人1台持っているのが当たり前の時代になり、私たちの生活は格段に便利になりました。僕は仕事でソフトウェアを取り扱っていましたが、これからも世の中のありとあらゆる物事・領域はITの進化で便利になってくでしょう。
そうなってくると行き着く先というのはやはり時間という概念なのです。
どれだけAIが無限にコンテンツを作り出すようになろうと、人間の時間は有限です。
本当に貴重で尊いものは自分の時間なのではないかと人々は薄々感じ始め、それをどう使うのかをみんな途方に暮れているというのが今社会で起こっている現象なのではないでしょうか。
よってZ世代の人々がタイパという効率的な概念を重視するようになったのは必然だと僕は思います。
そして昭和生まれの人達は自分の時間をいかに会社に捧げられるかという信条を社会に植え付けられて育った人々です。当然そのような信条の齟齬のある人たちと心通わせるのは簡単ではないでしょう。
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