レインコートはまだ着れない

もうすぐ梅雨がやって来る。そこで、ここはひとつ、雨にまつわる素敵なエピソードでも披露しようと思ったのだが、びっくりするくらい、なにも浮かばなくて、白目を剥いて椅子からずり落ちてしまった。仕方がないので、折り畳み傘について語ってみようかなと思う。

いつの頃から折り畳み傘を使用するようになったのかは忘れてしまったけれど、携行する理由は極めて単純である。無くす、盗られるという心配がないからだ。コンビニなんかで購入した傘が、手元から消えた経験は数知れない。
それから、コンパクトなのがいい。鞄のなかに放り込んでおけば、手はフリーの状態をキープできるわけだから。
これらの理由により、普通の傘と折り畳み傘を天秤にかけた場合、自然、折り畳み傘のほうに軍配を上げることになる。

とはいえ、折り畳み傘に思わず怒りをぶつけてしまったこともあった。
その日は、台風が接近。出かけるときは少し風が強いくらいだったので、甘く見て余裕綽々としていたら、帰り道はものすごい暴風雨!
折り畳み傘を頭上に掲げたものの、歩いて数分、膝から下はすでにびしょ濡れ、風の唸りは激しさを増し、言いようのない恐怖感が湧いてくる始末。異様なしなりで、気を緩めると吹き飛ばされそうになる折り畳み傘に、「もうちょっと頑張れないのか。あ、こら!   すぐ反り返るなっ!」と、つい怒鳴ってしまったのだ。

当たり前だけれど、折り畳み傘で台風に太刀打ちできるわけがない。この場合、普通の傘でも相当なダメージを受けるはず。
手はフリーの状態をキープできる、と前述したが、さすがにびちゃびちゃのものは鞄に入れたくないので手に持つ。するとどうだ。なんか、ダサいと感じる。どっちみち手に持つなら、普通の傘のほうがステッキみたいでマシだな、などと余計なことまで考える。怒鳴りつけて、挙げ句の果て破損した姿に不機嫌になるとか、もう折り畳み傘を差す資格なんてないのかもしれない。

ずぶ濡れで、どうにか駅に辿り着き、車内で一息つく。そのうち疲れでうとうとしてしまい、降車駅で慌てて、ふぉあっと変な声を出しながら飛び降りた。あれ?   なんか忘れて––––しまった、傘っ!
急いで駆け戻り、ドアに腕を挟まれながらも、なんとか救出に成功。かなり、必死だったね。手放せないほどの愛着を、知らず知らず抱いていたみたい。

子ども時分は大きめの傘を持ちたがり、折り畳み傘なんて絶対に使うもんかと思っていたのに、好みって変わるもんなんだなあ。変わるって、不思議だ。こうして書き連ねている駄文に目を通していただけるというのも、思いもよらなかった変化のひとつなわけで。

変化は起きるものなのか、起こすものなのか。どちらでもかまわない。ただ、小さな変化でも見逃さずに、しっかりと実感していきたい。大きな変化に揺さぶられたなら、ゆっくりと受け入れていきたい。その先で、自分にとって本当に大切なものが見つかる。
そう信じて、今はただ優しい雨を待ちたい。


※駆け出し探求者の痴れ言

お読みいただきありがとうございました。なにか感じていただければ幸いです。