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愛とは何かがわかった

生物にとって、あらゆる行動も欲求も、基本「生きるため」であり、「死なないため」だ。

さらに人間なら、より良く生きたいし、なるべく自分の利益になるように考える。自分は特にそういうエゴが強いから、組織よりも個人優先で、好きに生きてきた。

ところが、息子が生まれて、初めて自分より大切な存在ができてしまうと、少し感情的におかしくなっていることに気づいた。もうかわいいとかそんな形容詞では収まりきれない「愛おしさ」に、どこか頭がおかしくなっているんじゃないかと思ったし、実際おかしくなっていたと思う。

「好きに生きたい」という自分のエゴを、軽々と飛び越えるほどの「愛おしさ」。息子のためなら人生を捧げてもいいと思えるし、彼のために死ねるならそれも本望、というのは紛れもない自分の正直な感情だ。

たぶん、それが「愛」なんだろう。

生物にとって、命が最も大切なのはいうまでもないけれど、その命の価値よりも上になってしまうもの。そんな脳内のある種の「バグ」が、「愛」の正体なのではないかと思う。

愛の棒グラフ

これが利己的な遺伝子というヤツの仕業なのか、はたまた生物の宿命なのか…。まあどちらでもいいけれど、種が存続するためには、それくらい強烈な脳内バグが必要なのかもしれない。

ただ強烈ななだけに、好きすぎて過干渉になってしまったり、愛憎による事件もあとを立たないので、愛は取り扱い注意だろう。

おかげさまで息子はすくすく成長し、ついに身長も抜かれてしまった。ガタイもでかく、声変わりもして、今では立派な「野郎」だが、それでも親から見るとかわいくて仕方がない。

まあそれでも息子もそろそろ巣立ちに向けて、滑走路に踏み出す年頃だから、親としては愛というバグをうまく制御して、離陸の邪魔をしないようにしていきたいと思う。


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