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笑いの教科書

前回に引き続き、「紳竜の研究」からの1コマ。

この世界(芸能界、お笑いの世界)には教科書がない。だからまず最初に「教科書」を作ろうと思ったそうだ。


一体、何がちがうねん!?

自分が面白いと思う漫才師と、名人を呼ばれる漫才師の違いを探す事から始める。劇場に足を運び、隠れてテープに取る。いとしこいし師匠と、ツービート、時に、海原千里・万里(上沼恵美子)の漫才を比較する。何が違うのか?何故面白いのか?見ても分からないから、手間はかかるが、今度は紙に起こす。そして毎晩寝る前に、それを眺め、考える。


共通する漫才の仕組み

調べていくうちに、面白い共通項が出てくる。その1つが、間(ま)の数。

ここでいう間とは、2人の会話の言葉と言葉の間(あいだ)の事。Aが喋り、Bが喋ると、そこには1つの間(ま)が出来る。

名人と呼ばれる師匠方は、間が細かい。(1分間に20個)それに比べ、自分が面白いと思う若手の漫才師は間が少ない。(1分間に 8個)これは当然の事で、長年やっているコンビは、技術があるので細かく間を作ってもテンポの良い漫才を披露する事が出来る。一方、技術力の低い若手漫才師では困難となる。ただ、漫才師を目指している紳助本人ですら、間の数の違いに気づけなかった。笑いに来ているお客さんが分かる訳がない。お客さんは面白いか、面白くないかで漫才師を判断する。

また、同じオチのパターンを使う事も分かって来た。野球でいう三振を取る為の最後の一球が、フォークボールというパターン。でもいつもフォークボールばかり投げると、バッターもフォークボールの存在に気付き、見破られる。だから、わざと得意ではないがストレートやカーブといった球種も散りばめる。

もう分かると思いますが、これが近代漫才の仕組みであった。つまり、技術がなくても、オモロイと思わせる仕組み。

1980年〜1982年のわずか3年足らずの漫才ブームで、この仕組みをきちんと理解し、生き残ろうと奮闘していたのが、ツービート、B&B、紳助・竜介の3組だった。それ以外の多くの漫才コンビは、従来からある漫才の仕組みを踏襲したものだった。


その漫才は邪道やで!

この近代漫才は、高い漫才スキルがない若い世代の漫才師が生き残る為に、編み出されたものだった。ただ、この技術には、大きな欠点があった。

長く続ける事は出来ない

考えれば当たり前の事だが、球種が少なく、決め球以外は並みか、それ以下。しかも下地ともいうべき、基礎がきっちり固まっていない。野球でいうとそんなところだろうか。なので、出来て最大10年。

当時大御所だった、やすしきよしのやすし師匠からも注意されたそうだ。

「君の漫才は邪道や!ええセンスしてるけど、邪道や!やめなさい、ちゃんとしなさい」と。

その時、紳助は長く続けられない事は、分かってますと。でも師匠方の漫才は僕らの技術には出来ないと答えたそうだ。


ダウンタウンの凄さ

NSC(吉本総合芸能学院)の授業で訪れた際のダウンタウンの漫才を初めて観たそうだ。この授業で多くの若手が漫才を披露する中、ダウンタウンだけが、知ってか知らずか、近代漫才の仕組みを取り入れ行っていた。ただ、テンポ以外は。

当時の漫才の主流は、アップテンポの漫才。要は早いリズム。そんな中、ダウンタウンの漫才は、遅いテンポだった。紳助は帰り際、松本に「君ら、このテンポでやって行けると思うの?」と聞いたそうだ。これは否定ではなく、紳助の中にある素直な疑問だったようだ。

先程も書いたように、間を少なくし、パターンを一定にし、テンポを上げる。これが近代漫才の完成形である。テンポはドンドン早くなっている時期でもあった。

その数年後、梅田花月の舞台袖で、紳助・竜介の出番の前に漫才を披露していたダウンタウンの漫才が完成されていた。これが紳助竜介解散の引き金。


パクるなっ!

紳助は、B&Bの漫才を観て、お笑いの世界に飛び込んだ。B&Bを超える為、同じ師匠:島田洋之介の元に弟子入りする。笑いの秘密を探ろうと、四六時中、洋七について回っていた。それから程なく、紳助は漫才で頭角を現し、売れていく。そんなある日、洋七から言われたのが、「パクるなっ!」だった。紳助はこう答える「ネタはパクってませんやん。仕組みをパクっただけですやん」と。

この時、近代漫才の仕組みを理解し実践していた洋七からすると、紳助のやっている、やろうとしている事が手に取るように分かったんでしょう。仕組みを見破り、それを自分のものにする紳助もすごいが、それを応用して使っているのを見切ってしまう洋七も只者ではない。


ビートたけしの凄さ

1980年代に全11回、3ヶ月に1度放送された、漫才番組「THE MANZAI」があった。これは今やっているTHE MANZAIの元の番組である。1回目から出場していた紳助は、毎回世界戦を闘うボクサーのように、細かい調整をし漫才を披露していた。いつもガッツポーズが出来るほどの会心の出来だったそうだ。しかし、THE MANZAIの8回目、いつものように漫才を披露する紳助。いつもと変わらず客席は大爆笑だった。ただ紳助はもうこの漫才(紳竜の近代漫才)が通用しなくなる事を悟った。後にここからいつ漫才を辞めようか悩む日々が始まったと回想している。

実はもう1つエピソードがある。THE MANZAIの5回目、ビートたけしは紳助にこう言ったという。「もうツービートは終わりだ。もうダメだ。これからの漫才は、紳竜に任せるよ」と。その時、紳助は本当に嬉しかったそうだ。ツービートを追い越し、自分達、紳助・竜介が漫才を引っ張っていくと思えたから。

もうお分かりだと思うが、紳助がTHE MANZAIの8回目で気付いた、「近代漫才」の終焉を、ビートたけしは、5回目で気付いたという事だ。恐るべしビートたけし。


ビジネスにも応用出来る

 ・教科書を作るという発想力。

 ・違いを探る分析力。

 ・そこから導き出された成功の方程式。

 ・それを揺るがす新たな方程式の察知力。


話の内容(コンテンツ)は、漫才を下敷きに話しを展開しているが、漫才をしない人達にも応用できるビジネスのヒントが隠されているように思えてしかたがない。

島田紳助は本当にすごい。




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