スクラムコーチとしての歩みその1(胎動編)

スクラムコーチとしてどこで知識を得たのか

スクラムコーチ歴12年目ですが、自分の現役時代の経験という貯金だけでやてきたわけではなく、様々な人との出会いがあり、そこでたくさんの学びを得ました。

WクラブでのT山さんとの出会い

06年にN大を卒業し、普通に就職した僕は兄がいたWクラブでクラブラグビーをエンジョイしていました。その時出会ったのがK光学園→W大出身のHOであるT山さん。T山さん。僕のいたN大は当時スクラムコーチが居なくて、取り敢えず数組めみたいな文化だったんですけど、W大出身のT山さんは組む前にかならずどのように組むのかの意思統一とそれを容易ににするために組み方の言語化を行うということをしていて、私は衝撃を受けました。

スクラムはじゃんけん

その時教えてもらったノウハウや考え方は今教えてる大学で使っているので詳しくは申せませんが、スクラムってまっすぐ押せれば最強なんですけどそうも行かない事が多いので組み方を工夫するんですけど、それによって必ず「こうされたら弱い」という弱点が発生するんですね。なので、「相手の組み方はこうだからこうする」というのを必ず確認して実行するということの大切さをT山さんから教わりましたし、それが僕のスクラムコーチとしての基礎になっていると実感します。今になって思うとOODAループ理論(※1)そのものですよね。

穴子事件

余談ですが、当時、T山さん、私、私の兄の3人とで、Wクラブの年長の方にお高めのお寿司と天ぷらのお店に連れて行って頂いたんですよ。その時に美味しい鱧が入ったからそれを食べさせてやるということで喜んでたら白っぽくて細長い天ぷらが運ばれてきて、これは鱧に違いないということでおいしいおいしいと若造3人ががっついていたらそれは穴子の天ぷらで、鱧はその後に出てきたという青春の思い出があります。年長の方はそれ以来そのお店には連れて行ってくれなくなり、すたみな太郎がメインになりました。味がわからないですからね笑

そしてコーチになる

地方への転勤もあり、Wクラブを1年で離れ、07年はラグビーには関わらず、関東に帰ってきた08年からとある大学でコーチを始めることになりますがそれはまた、別のお話・・・・。

※1https://ja.wikipedia.org/wiki/OODA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?