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ザスパとの馴れ初め

noteを始めたものの、何を書こうかこれから考える見切り発車丸出しのyosuieです、どうも。

一つは過去に書いていたブログから、当時の様子や心情などをピックアップして体よく水増し(笑)できればと思っています。

そうは言いつつも、まずは改めてザスパクサツ群馬(当時はザスパ草津)に人生を狂わされた(笑)きっかけについて、つらつら書いてみたいと思います。

・・・刻は2002年まで遡ります。当時大都会トーキョーで働いていた私、青山のオフィスで会社の先輩との雑談からこんな話を聞きました。

「なんか今度新しいサッカーチーム作るんだって。同級生がそれに関わってるんだ」

先輩は私と同郷の群馬出身。しかも温泉地として全国的に有名な草津町。

「しかもあの小島とかいるらしい」

「あの小島」とは、後にザスパのレジェンドプレーヤーの一人となる元日本代表GK小島伸幸選手。群馬県人なら地元出身のサッカー選手5人言え、と言われれば必ず入るその人の名前に、「へぇー、そうなんですねえ」と相槌を返しました。興味は沸いたものの、当時私のサッカーに対する優先度はそんなに高いものではなく、ごくごく一般的なスポーツ好き青年の範疇。思春期にJリーグが誕生し、ブームに乗っかって多少のグッズは持っていたり、切れないミサンガを巻いたりしていましたが(笑)、スタジアムに行ったことはなく、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、マイアミの奇跡など代表の試合をテレビで見る程度でした。もともと首都圏に近い群馬にはプロ野球球団もなければJリーグのチームもない。多少でもお金を払って観るスポーツといえば、高校野球くらいだったと思います。スポーツは自分でやる以外テレビか、よほど好きな人がわざわざ遠出をして観るもの、という認識が一般的でした。私は当時どちらかというとサッカーよりは野球派で、都会に住んでいた地の利を生かしてイチローがまだオリックスにいた頃、西武球場に観に行ったり、群馬県初の甲子園制覇を成し遂げた桐生第一のエース正田樹を観に日ハムの鎌ヶ谷球場に行ったりはしましたが、基本的にはスポーツはお茶の間で見るもの、という意識だったと思います。

話はだいぶ逸れましたが、先輩から聞いた新しいサッカーチーム「ザスパ草津」という名前を会社のPCでYahoo検索(まだ公私混同できる平和な時代だった)してみると、表示されたのは「リエゾン草津」という名前が書かれたページ。産声をあげたばかりのザスパは、まだホームページも古いままだったんですね。それでも、地元群馬に新しいチームができて、地元出身の元日本代表選手が加入、ということに多少なりとも興味を惹かれ、同郷のカミさんにも「今度こういう話があるんだって」と帰宅後に話をしました。

当時はまだスマホもSNSもなく、そもそも県リーグだのプロとアマチュアの違いだのといったサッカー界に関する知識もなかったので、それ以上詳しく調べることもなく過ごしていました。しばらく経って夫婦の間でザスパの話題が出たのは、群馬にいる義父母が試合を見に行った、という話でした。もともとスポーツ観戦好きの義父母、カミさんの弟は高校でサッカーをやっていたこともあり、気軽な気持ちでザスパの試合を観に行ったようです。元日本代表GKと元Jリーグ選手を擁するザスパの強さもありましたが、もっと惹かれたのは少人数ながらも応援するサポーターがいたことだったそうです。そんな話を聞き、私も再びザスパへの興味が沸いてきて、群馬に戻った際に一度観に行ってみようと思いました。そして、初めて観たザスパの試合は、県リーグ後期5節、吉岡で行われた群馬大学戦でした。まだまだサッカーに関する知識も乏しく、ピッチレベルでの見にくさに慣れていないため、正直そんなに楽しめたというわけではなかったと思いますが、県リーグレベルではない選手のスピードやプレーは印象に残っています。

そして、今につながるザスパサポ人生を決定付けたのは、翌年1月に行われた、図南SCとの関東リーグ入れ替え戦でした。延長、PKまでもつれた試合を制し、関東リーグ昇格を果たしたザスパ。歓喜の輪に包まれたサカラグの雰囲気は、これまで味わったことのないものでした。

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あれから20年。簡単に書ききれないくらいの紆余曲折はあったものの、ザスパは今シーズンも群馬県で唯一のJリーグクラブとして、厳しいJ2リーグを戦っています。「リアルサカつく」、「地方からJの開拓者」、地域密着のJリーグ構想を体現するザスパは、今日のサッカー界だけでなくその後の野球独立リーグ誕生やBリーグの全国展開などにも、影響を与えたのではないかと思っています。それが、ずっとザスパを見守り続けてきた古参サポのちょっとした誇りです。

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