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今につながる2003年

どうも、yosuieです。

昨日のアウェイ岩手戦、苦しみながらも劇的な平松の決勝ゴール、素晴らしかったですね!ああいう試合で勝ち点、しかも3が取れるというのは、ここ数年あまり見られなかった傾向。うまくいかないことを試合中に修正しながら、最後は結果を出す。交代選手が軒並みゴールに関わっているのも、大槻監督の采配の的確さを感じます。


さて、遡ること19年、今日は2003年のことを書きたいと思います。この年はまだブログも始めていなくて、写真くらいしか記録が残っていないんですが、ザスパは年明け図南との入れ替え戦を制して、関東リーグ2部に昇格。11勝2分1敗で見事優勝を飾ります。

通常であれば、翌年は関東1部に昇格して戦うことになるんですが、この年制定された飛び級制度(通称?ザスパルール)によって、JFLへの昇格をかけた地域リーグ決勝大会に出場し、これも制して見事1年でアマチュア最高峰のJFLまで駆け上がることになります。

この年のメンバーで一番の驚きだったのが、入れ替え戦で対戦した図南の鳥居塚伸人選手が加入したこと。県内のライバルチームからの移籍であり、前橋商で高校選手権ベスト4に入った地元出身選手の加入で、当時のザスパの勢いを感じます。

さらに、鹿島や清水などJリーグで活躍した鉄人サントスの加入にも驚きました。おそらく奥野さんつながりだとは思いますが、当時は今ほど下位カテゴリでプレーする元Jリーガーは多くない時代。しかも助っ人外国人選手が加入するというのは、もっと稀だったと思います。

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何はともあれ、足踏みできない状況で難関の地域リーグ決勝を一発勝負で勝ち抜いたザスパ。今もここを突破できずにJを目指すも上位カテゴリに進めないクラブも多いです。今日のザスパがあるのは、この1年の成果があったからこそだと思います。

そして、もう一つ今のザスパにつながるエピソード。この年群馬FCホリコシとの県予選決勝を制して天皇杯本戦に進んだザスパ。対戦したのは市立船橋高校。高校サッカー界の雄、イチフナに後塵を拝すことになるのですが、そのメンバーに現ザスパの渡辺広大がいたことは、サポ界隈で「運命」と語られることの一つです。

個人的には、2003年は5年働いた会社を辞め、群馬にUターン就職をした年。年末には2人目の子供も生まれ、生活環境も大きく変わりました。群馬に戻っていなかったら、草津まで試合を見に行くこともなかったかもしれないし、今のように毎週の試合結果に一喜一憂することもなかったかもしれない。そういう意味では、ザスパにとっても、自分にとってもターニングポイントの1年だったと思います。

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