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震えながら学ぶ。びびんこ備忘録。

私が所属するソシオファンド北九州にて、びびんこが始まった。びびんことは何か、それに関してはこちらのソシオファンド北九州の記事にあるのでこちらを参照してもらいたい。この「びびんこ備忘録」は私個人のびびんこの感想とそのときに感じた要点的なものをまとめたいと思う。自分のためなのであまり役に立たないかもしれない。

びびんこは「何かやりたい!」という人を私たちソシオメンバーがそれぞれの視点を投げかけて応援して形になればいい、みたいなもので、応募した人とメンバーとのコミュニケーションが1番の醍醐味だと私個人は考えている。

私は意外にも?びびんこ一年生なので初めての経験だ。やったことないというのは一番ワクワクする。一番刺激の高揚(効用)が大きいからだ。不適切かもしれないが個人的にはスポーツとかタバコとか、アドレナリンをもっと!みたいな状態になると「びびんこ面白い!」と思いながらやっている。そんな気持ちが最近失せつつある。

というのも、いろんなことが少しずつ積み重なっていけば、他のメンバーの積み重なったものも感じてくるからだ。もちろん、「積み重なったものが見える」わけはない。しかし「その圧」みたいなのは感じる。全く積み重ねがなかった頃は、何か勉強しようと思いながら自分で行動してみたり、話を聞いてみたりして、漠然と何か追いつけるようになればいいなあみたいな感じで行動していたのだが、最近「その圧」に当てられて「ヒイイイ」みたいな感じになる。笑

一つの話や話題、世界を共有するにおいて言語化できることというのは一つの「パスポート」みたいなものだと最近よく思う。それがなければ違う国や宇宙にはいけないのだ。と言いつつ飛行機に乗り込んだら、ひたすら空を巡回する旅が始まる。相手の国はあるようで私の住む国や星とは違った、異次元の存在なのだ。

なぜ相手の国に辿り着けないのかというと、相手の国や世界は自分の世界とは常識も、言語も、概念も、歴史も、文化も、肌の色も、幸福感も、何もかもが違うのだ。私が書いているこの記事ですら、あまつさえ感覚的かつ例え話なのかなんなのかわからない文がつらつら並んでいるというのに、その意味しているものがあなたの考えて感じている文の意味とは形成する背景が違うので全く違うこと考えているかもしれませんよ、ということだ。だからこそ、対話や会話、人の考えを聞くのは難しいのだが、前提として「人と人とは分かり合えない」ということになる。これを意識するとなーんにもできる気がしなくなるのであまり良くないのだろうが、そう踏まえないと見当違いや失礼なことを言ってしまいそうになる、その圧もある。

唯一行ける世界があるとすれば、「複数人で集まってそれぞれの世界をぶつけて核の部分だけ残った小惑星」だと思っている。相手の背景や概念は私のそれとは全く異なるので、新しく共有する概念を作ること。これが唯一わかりあえることなのかなあと感じている。

「概念」というものは私個人のなかで理解はできる、というか理解した気になれる上に「行ってもいい世界」だと思っている。それは自分自身が概念に包摂されているので「行けない世界」ではなく、自身の土地の一部なので否定はされない。しかし相手の世界の中で自分がどのように理解されるか、対話の言語は理解されるのか、それは完全に相手に依存しているので、相手の次元に飲み込まれないように自分の次元を強く保つしかない。それは知識量や知恵や経験からくる「深み」の部分に出るのかもしれない。表面ではニコニコされていても、相手の次元にそぐわなければ自分がかなり辛い思いをする、そうならないように震えて学ばなければすぐに押し負けてしまう。最近感じたびびんこの怖くて面白いところだ。

こんなことを考える場所はあまりないと思う。何かのプロジェクトを複数人で共有して活動することはあっても、自分より圧倒的に知識も経験も深みも上の人が「対話」をしてくれる、ちゃんと相手をしてくれる場所はかなり少ないと思う。プロジェクトを進めたかったら正直ソシオじゃなくていいと思うが、「対話」によって新しい概念とか理解を深めたい私にとっては本当にありがたい場所だ。「よく私を入れてくれたなあ」それが最近の率直なソシオへの感想である。

びびんこは一般公募から始まるので、そのとの人たちとも話す機会はある。ソシオメンバーはある程度「ソシオファンド北九州」という組織に属するので色みたいなものは割と似てるのかなあ〜〜??と思ったり思わなかったりだが、応募した人たちはそんなことは関係なく、「何かやりたいんだ!」という人であって、ソシオ感なんて全く関係ないのでまたまた面白い。多様というか色んな人がいるな〜とかそんな思いで動いているなんて、人格者だなあみたいな感想が出てくる。私みたいに知識欲とか刺激とかが源泉の思いとなって社会に何かすることを手段としたい!みたいな人はあんまりいない。利己と利他。これもまだまだ青い、ということなのだろう。

そういった部分でも「その圧」に当てられることはある。そこを渋く言われても、まだ人生21年しか生きていないので「そんな私でも何か捻り出して役に立ちたい!」と骨を折り続けるしかない。文字通り「頑張る」のだ。周りの大人の方々の懐の深さたるや。。。

「本質」ってなんだろうか。これが本当にあるとしたらどこにあるのか、どんな目をしていれば見えるのか、はたまたどんな感性なら感じることができるのか、文脈的なものなのか、私が触れることはできるのだろうか。何か手がかりになればいいなと思うし、定義はなんだろうか。ヒントを掴めるようにかつ人の役に立つように、これからびびんこを頑張っていきたい。

そんなことを考えても全く足りないくらいなのがびびんこです。

こんなに面白いものはない。とも思うし、そう思い続けられるように震えて学び続けなければ私には価値を引き出せないように感じる。震える。ひたすら。

では。

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