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魚を分析して水を得る。

こんばんは、河谷です。

就職活動卒業論文試験勉強SDGs学習の四足本柱で生活しています。かなり多忙です。今年も始まって20日ですが、なかなか予定の詰まった生活をしていますが、そういった中でも結果を出すことに工夫や追い込みをかけながら作業をしています。

最近の傾向としてはアウトプットに対して考えを働かせることが多いです。食関連のインターンを受講したりSDGsにおいて私自身の内面を整理して相手に伝えたりと、人と何かを作ることや考えを形にすることに力を入れています。

私たちはインプットにはかなり慣れていることと思います。小学校からの詰め込み教育に始まりテスト勉強や資格試験などいろいろなところで学ぶこと=ノートにかく/本を読むといったことになっていると思います。そうした受動的な学習に長く継続的に取り組むことのできる人を私はかなり尊敬しています。大学では一つの講義が90分ありますが、ずっと座って先生の話を聞くものばかりです。

私のような少しADHD気質のある人は90分も座って話を聞くことはかなりの苦痛です。特に興味のない話をずっと聞くことは苦痛で、大学に限らず高校生の時もかなり苦労しました。なんとまあ頑張っていたもんだと感心します。

アウトプットを産む際の頭の使い方がインプットとはかなり違うなあというのが率直な感想です。アウトプットの元になる課題があればそれなりに解決策や私自身のできることや興味関心などから私のやることが限定的にわかってくると思うのですが、オープンクエスチョンの中でアウトプットを産むことの難易度というか、そういった頭の回路のなさを常に感じます。

私は現在食の未来を考えるインターンに参加していますが、将来の食ってどんなことが考えられるだろうという非常にオープンなテーマの中で、さらに将来のことを考えるある意味バックキャスティング的な要素を組み込みつつ非現実的なところを強制的に発想していくこと、まさに創造的発想を求められるのですが、その思考回路のなさといったらもう......といった感じです。

創造的発想はこれからの社会を考える上で非常に重要な要素となっています。既存の社会が複雑になっていく中で、将来を作るには自身の手で何かを想像することが一番確実だという考え方です。またそういった中で社会を想像的に改革していくことで複雑性の社会を希望を持って生きていけるという考えでもあります。

VUCAの社会と言われる中でたくさんの情報が流通し、社会を把握したり変化にさらされる中で私たちは生活しています。

上記のような文言はよく言われますが、そんな社会に一石を投じるというか、一つの答えとなるものが「禅問答」ではないかと思います。

複雑性の社会の中で考えることの止まない疲弊しやすい中で「問いの外に出る」や「問いの上に立つ」「問いの後ろに立つ」といった総じて「問いのひとつ上の存在となる」ことはこれからの社会をより良く生きたいと思う人にとって、一つの道標となるものが禅問答だと、そういった意味で思います。

また想像的発想をそこに組み込んでいくことで、これまでになかった複雑性の一歩上に立つことのできる発想や概念を考えることができる人材になるとかなり面白いのではないかと思います。もはやビジネスとか社会とか、そういった区分はなくなり、自分自身の存在意義や対峙を考える時代になっています。

ここからは私が想像的発想をする上で何がわからないのか、どういったことにとっかかりを見出したいのかといったことを整理していきます。

基本的に、何か物事やアイデアを出す時に、事前情報が乏しいとあまりアイデアは望めないと思います。事前に持っている情報を通して思考する、哲学するといった領域で考えられるくらいには仕入れておきたいものです。これは勉強するということより、普段から自分や家族などの行動を見てどういった課題観や問題観があるのかを把握することで生活しているだけでも学びになります。街の構造や歩いている人、何が流行っているかをSNSから考えてみるなど普段の事象から様々なことが考えられます。

次にそうしたものを複数繋げることです。生活の中で捉えた課題観や問題観を複数繋げて考えることでどのようにしたら解決できるかといった考えに創造性が生まれることがあります。この辺まではある程度考えることができます。

そこから次に未来性につなげます。未来を想像してどうなっていたら面白いか、もはや妄想の域です。実現可能性や手堅さというよりは突拍子もない未来について解像度を高く考えること、これは非常に難しい部分があります。というのも、未来への想像を広めることに対して無限の可能性があるからです。どのようなベクトルや方向性が考えられるかの不確かさが、思考の大きい部分を占めるからです。

私たちは過去に経験したことを使い直すことで近い将来のことや遠い未来のことを考えることができますが、「解像度を高く」ということになると考える人のレベルが問われます。どのような価値観で、どのような経験で、どのような思想で、どのような希望を持って、そういった自分自身のあり方や感心、今持っている情報を総動員してもしっかりと作り込むには、解像度を上げるためには不確定な部分がたくさんあります。そんな中でも制作物に落とし込む。私自身、頭を一度整理したいものです。

そのような思考を可能にするには、私たちの馴染みのあるインプット的思考では全く歯が立ちません。せいぜい話の解像度の低い、何を話しているのかわからないようなことになると思います。それでは何にもなりません。何も前に進みません。

話の解像度を上げて何を話しているのか分かりやすく人に伝えて初めて話に価値が出ます。そのために普段からインプットして整理してアウトプット思考に組み替えるわけです。この一連の流れをできる人は大人の方でもあまりいないなというのが正直な印象です。

またそういった話をできるようになる、そういった思考をできるようになると次は行動のフェーズがあると思います。実際に行動してみて知恵として体に刻んで学ぶ段階です。この段階をできる人の方が話をできる人よりも少ないと思いますが、ここをできるようにならないと、考えている事象を前に進めることはできないと思っています。また人として学びの深さとして行動の段階に挑戦することは必要であり非常に重要な役割を果たすと思います。

インプット思考からアウトプット思考への変換、そしてアウトプット思考で立てた仮説を今度は自分で検証すること、そして問いを立て直すこと、その一連の流れをできる人になりたいなと思うものです。

最近noteを更新していなかったので、考えが少し整理されて楽になりました。やはり吐き出すことで新たに考えれるものだと実感しています。それではこの辺で。

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