bibouroku#4

自分でもわからないことが多すぎて、それでも分かろうと何か行動に移して、行き着く先はどんな景色だろうか。

大学四年生になって、そろそろ何かしなければと思う気持ちが強まった。高校生の最初の進路相談の時、それ用の紙に一言「起業」とだけ書いて提出した。それは志望校とか文理の選択とかにチェックを入れて先生のご機嫌を取るための紙だったから、備考欄に「起業」しか書いていないそれが妙に面白かった。

大学に入ってからは、自分のことを知るばかりだった。最初は家事や掃除が全くできなかったし、ご飯は作りすぎるから5キロも太った。自己管理が全くできない状態なのだとわかるところから始まった。汚れるまで汚さないこと、洗濯物は三日に一回くらいは洗うこと、ご飯は食べすぎずおかずは作りすぎないこと。そんなことを意識するところから始まった。始めたつもりがあるわけではないけれど。。

大学生になりたくて大学に入ったわけではなかった。「ただなんとなく」が一番理由としては合っている気がする。高校の時は就職でいいやと思っていたが、当時の担任から「できれば、東京の大学へ行きなさい。東京でなくても、大学は行きなさい。」とはっきり言われた。大学は人生の夏休みとも聞いていたし、損はないだろう。そんな感じで入学。。決して高い視座で、目的があるわけではなかった。

大学最初は部活に明け暮れた。講義もサボってテニスをしていた。幼少期の頃は英才教育とは言わないまでも、そこそこ活躍していたので、5年ぶりくらいに本格的に再スタートしたテニスは下手になって以前のようにできない葛藤を抱えながらも、純粋にただ楽しかった。テニスは一人ではできないから友達を付き合わせて、自分の講義もそっちのけでただ目の前のボールを追いかけた。充実そのものだった。

コロナになって部活ができなくなると、バイトが中心の生活になった。一年生の秋から、大学横のファミマでバイトをしていて歴が2年くらいだったのでちょうど中心メンバーだったこともあり、夕方から夜中まで、夜中から朝までシフトが入っていた。夜勤というやつだ。バイトは楽しかったが本気にはなれなかった。時間帯ごとに何をするか決まっていて、外部エンジンで動かなければいけなかったからだ。周りは意外と丁寧に、積極的にこなす人が多かったので、「なんでこれをやるんだ」みたいな考えになる私はいちバイトとしてはあまりいい労働力ではなかったと思う。サボるし。手抜くし。それでも店長の「入れたシフトに応えればなんとかチャラになるか。」と思いながら、欠勤しないことが唯一の罪滅ぼしだった。

そうしていたらあっという間に大学4年になった。何かしたい、何か形にしたいという想いはずっとあった。けれども「これをやりたい」という確固たる信念は全くなかった。興味のある分野はたくさんある。学びたいことや私でよければ使って欲しいような場所はたくさんあるが全て「受け身」的な発想だった。今考えれば、これは日本の教育の賜物だったのだと、枷だったのだと言える。外部エンジンの部品にさせられていたことにむしろ感心した。

最初にやったことは「本を読む」ことだった。誰の迷惑にもならず、バイト代も無駄にはならない使い道だろうと思って本を買った。どんな姿になりたいのかもわからないから興味のあるものからAmazonでぽちぽちしていた。当時買った本を今見返してみたら 与沢翼ー「ブチ抜く力」みたいな the意識高い系のやつもあれば 近内悠太ー「世界は贈与でできている」みたいなAmazonで上位に入りがちな半分ビジネス書みたいな本がたくさんある。ちなみに与沢翼の方は読まずに棚に入れっぱなしだ。今思えば、意識高い系社会人2年目シリーズみたいな本が多い気もするが、それでも読んで良かったと思う。

「日本人は文章が読めない」というワード。1年に一回はこれがTwitterとかで話題になっている気がするが、これは数少ないメディアで語られる真実だと思う。私もそうだった。一応大学に入れるくらいには勉強はできるのだから、文章が読めないことはないと自分でも思っていたのだが、実際にある程度の本を読了していくと少しずつだが理解度が違ってくる。それは文章の意味とか情報を理解するとかもそうなのだが、読んだ文章を自分で反芻して私の価値に置き換える、そういう作業ができるようになる。著者の考え方やその背景を知りながら言葉の取捨選択や文脈の捉え方、文字は一般的なルールの上で使われる手段だが、著者が何を私に語り問うかは文字のままではなく、手段である文字を通して感じる熱意や思いや感情を感じてそれを捉えることが大事なのだと最近思うようになった。

単語には意味がある。辞書で調べれば出てくる。それを繋げれば文章になる。それでも単語に感じる温度や色や理解は個人で異なる。好きな単語や嫌いな単語、暖かい単語や冷たい単語、そしてその温度や色は個人でかなり差がある。だから、聞こえてきたことを私が咀嚼しても、語り手が提供した味や色味ではないことが前提で会話や文章は作られる。しかし「ハンバーグだと思ったらサラダだった」みたいなことがないように、辞書には単語の意味が載っている。そうしてある程度共通の価値観を単語に感じながら、生活に支障がないようには教育される。

そうした前提をもとに会話や議論を行う。最近はそのようにして「理解は遠く実現されないもの」だと軽くショックを味わっていたのだが、「シンパシーとエンパシー」のことを知って少し安心しているし、「私が大事にしているもの」と「相手が大事にしているもの」は会話や議論など遠く及ばないところで、どれだけ議論しても私の理解の範疇の外で保存されていることを知ったので、むしろ相手のことを思いやれるようになった気がするし、ポジティブに諦めがついたこともあって気分がいい。

だから音楽も私の中で価値観を変えつつある。これまでは音楽のリズムやテンポ、曲調や歌詞や歌声などで味わうことが多かったのだが、それに加えて、「手段である言語を通じて私たちに流したい感情や想いを味わうように努力する」ことが最近の音楽の価値だと思って聞いている。そのためには歌詞の暗喩や隠喩、制作年代の時代背景など攫うことは多いのだが、芸術は都合がいいのでその時私が感じて大事にできればそれでもいい、と半分は自己満足の道具にしながら楽しんでいる。書いていて少し悲しくなった。でも音楽の造形があるわけじゃないから仕方ないじゃん。これから頑張るんだ。。

そうして「言語」「文章」から学ぶことが増えていった。人との会話も、自分との対話も音楽も自然も、物体からだって言語になりうるものがあると、最近はその「感覚」を磨きたいと思って味わうようにしている。そうするといろんなものに興味が湧いてくるようになったし、会話の内容だけでなく相手の心情や言葉選びから薄く引き出される体験の匂いも薄々味わえるようになってきた。だから大事なところで間違うこともあるし、対話が重要なのだと、むしろ気がついた。

最近読んでいる ボードレール全集の中にこうあった。

「従って超感覚的な神経が自然を眺める時、外界はただ物たち、具体的な映像のみで成立しているのではない。自然の上に超自然があり、感覚の上に超感覚があれば普通の神経では捉えられない色、光、響き、そして匂いを捉えることができる。」

「『一層敏感に研ぎ澄まされた五感が、一段と響き合う感覚を認知し、一層透き通って輝く蒼空が、無限の深淵のように深くなり、物の響きは音楽的に鳴り渡り、色彩は言葉を語り匂いは観念の世界を告げる。というような驚嘆すべき時間を頭脳の真の視察を知らなかったものがあろうか。』と問う。」

こういったことを書くためには、私には到底及ばない素養と才能が必要であろうが、誰もがそれに近づくために素養を身につけようとするのは自由なので、こういった世界があることを誰かが教えてくれただけでも光明が見えた気がした。

なんらかの要因によって研ぎ澄まされる「超感覚的な神経」が存在することを、著者の感覚として感じただけでもそういった世界にアクセス可能であることが示唆されただけも、私にとってはものすごく嬉しかった。

そして一つ前の投稿で書いた、「超無意識的な自己との対話」がボードレール全集を読中に行われた感覚を持った私としてはもはや脳内麻薬漬けの手段になることを期待するばかりだ。

それもこれもとにかく「読書」から始まった。初めは読む価値のないような本をわざわざ新書で買っていたが、それでも「読んでよかった」と思っている。

「ソシオファンド北九州」では新規事業の応援のお手伝いをさせていただいて、「鈴山農園」では農家として役に立たないながらもお手伝いをさせていただいているし、今度はカフェを運営しようとしている。来年からはSDGsファシリテータとして地域で活躍したいと密かに野望を抱いている。大学の単位も残っているが。。

それでも凡人ながらに「動くこと」を続けていたら、「興味探し」の旅を始めたら、次に見えてくるものがあると期待しているし(視座が低い。。。)、今は充実した日々を送っていると周りに感謝できる。

これからは今まで私が言語化できなかった私との対話によって少しづつ、成長することができればと期待しながら、今日も動く。

noteにその言語化のログを少しでも残すことができればと思う。



追記:HHKBの雪を買ってしまった。誰か財布を預かって😭

ぜひサポートをお願いします!いただいたサポートの分はnoteに掲載する記事の内容に還元いたします!