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この季節が来た。

普段と違って?あまり内容のない回になる。

この季節が来た。美味しい食べ物や美しい景色、見渡せば夏からの変化に気が付き心にも変化が訪れて然るべき季節だが、私が言うのはその季節ではない。

そう!HHKBを打ちたいと言う季節だ!

HHKBを簡単に説明すると

Happy Hacking KeyBoard

そう、PCに接続するキーボードだ。

私の趣味がプログラミングの時に、「やってる感じ」「かっこよさ」を兼ね備えたこの製品を見てかなり高いながらに迷わず購入した化物だ。フラッグシップモデルを購入したにも関わらず、そのあとAmazonタイムセールに出ていた型落ちの一つ下のモデルの無刻印も買ってしまった。その間僅か二週間ほど。それくらい好きなものだ、私にしてはめずらしい。

そしてそのHHKBに先日、限定2500台で「雪」モデルが登場した。この情報を目にしたとき、迷わず購入ページを見たのは覚えている。しかもこれ、私が持っているフラッグシップモデルと何が違うかというと「色」だけだ。正直同じものを二台持っていることになるのだが、それでもよかった。頭より先に指が動いていた。

今回はそれをただ使いたいから文字数をたくさん稼ごうの回というわけだ。

私はマーケティングを少し齧っているのでわかるが「ブランド」は強い。

商品を消費者が宣伝するかのように知らない人に広め、消費者同士で共感して仲間を作り、釣り上がる値段にすら価値を感じる。むしろ高ければ高いほどウェルカム。HHKBはそこまでの感じではないが。

だから正直「雪」モデルを買うのは悩んだ。だっていらないもん。必要ないもん。

そんな考えを指は聞いてはいなかった。

「ブランド」のマーケティングのロジックがわかっていても、私の心に起きた衝動を止めるロジックを私は身につけてはいなかった。悔しい。でも2500台だもん。世界中にあってないようなものだもん。いいじゃん。

色は大事だ。黒は重厚感を白は凛としたそんな仕上がりのキーボードだ。

実際、同じものでも色によって感覚として重量の違いを感じる実験があったはずだ。スポーツでも、白は何だか軽くて振り回しやすくて、黒は重くて圧を与える、そう感じる選手たちはかなり多いだろう。私もテニスをしているので非常にわかる。白いやつ、めちゃ軽く感じる。黒使ってる人、強そう。ちなみに私は大好きなロジャーフェデラーが使用するProStaff 2021年モデルを使っている。最高だ。

最近淡い色や燻んだ色が流行っているらしい。

淡い青やくすんだ緑など、何だか自然や普段目に入ることのない系の色だ。何でこれが流行るのか、そのロジックはわからないが魅力は非常に感じる。

私も淡い青のペンを一本持っている。

uni-ball ONE「霜柱」だ。

いくつか種類があって、季節を感じさせるテーマのもと5色ほど展開されていた気がする。珍しく「買う!」と思った文具だった。

文具は「あると便利」とか「あるとおしゃれ」みたいな位置付けの商品がめちゃくちゃ多い。顧客の「知性を醸し出したい」「おしゃれでありたい」「そういう雰囲気を気軽に身につけたい」みたいな需要に応えているのかどうか知らないが、万人ウケするテーマが多い。

その中で、季節の一瞬を切り取って大事なものとして私に伝えてきた、そのために最適化された色と印象。そしてそれを踏まえて決して書き心地やインクの質感は妥協していない。そんなペンだったので久しぶりに感動すらしたし、その時の感覚を覚えているし、カフェを営もうとしている私にとって非常に参考になる体験であり商品だった。まさに「ペンを買わずに体験を買った」と人に言える商品だ。

uni-ballさんにそんな意図があったのかどうかは知らないが、非常に関心。

「信じるもの」を共有することは難しい。

先ほども書いたが私は今、カフェを営もうとしている。田舎の田舎の、分校を改装した小さなカフェだ。私が働く農家が出資して、私が管理をさせてもらっている。せっかく農家がカフェをするんだから、「季節」「自然」「暖かさ」「お金に変われない空気」を提供し、「お客さんに豊かな時間」を過ごしてほしいというのが私の願いだ。前途多難な面がたくさんだが、続いていけば地域の誇りみたいなものにもなっていければ、と勝手に希望を抱いている。

だがそれを複数人で共有し、提案するメニューにまで落とし込むことまではできていない。「信じるもの」すら相手からすれば与えられたもので、それに関してどんなメニューにしたらいいかなど考えることはいくらでもできると私は思うのだが、相手からすれば「そこまでしなくても」とか返事が返ってくる。「やれることはやろう」って思わないのかな?妥協の上に立てたものを胸を張っては伝えられない。そんなことならやらないほうがマシだ。

考えて考えてやっとスタートラインに立てるかどうかなのになあって、そうやって続けていかないと意味がないと思うのになあって思うが、共有できそうにない。

普段からそんな感じはあるから別にいいんだけどね。ちょっと悲しいだけ。

最近親が引っ越しをしようとしている。私は一人暮らしで妹は東京にいるから家には両親二人だけだが、私が小さい時からあまり仲は良くなく、兄妹で大人になりつつある今は親が離婚してもそんなにショックではない。そういう意味の引っ越しだ。

その一環でCDがいらないと。親父がクラシックのCDを持っていて、母がミニコンポを持っていたので偶然にも環境が整った。今この記事もベトベンを聴きながら書いている。

クラシックは言語だ。作曲者の世界から各人へと伝えたいものを音に乗せて、私の場合はほとんどがピアノに乗せられて届く。科学としてはただの周波数だろうが、芸術としては言語であり未知の宇宙だ。なぜこの周波数を耳にしただけで風景や情景が浮かぶのだろうか。すごく不思議だ。

教育で受けた枷では全ては説明のつかない、外国語でも何を言おうとしているのか伝わる現象と似ている気がする。そういう意味でも言語だ。それに温かいし、豊かだ。

今どきクラシックのCDをミニコンポで聞いている21歳はあんまり多くない気がする。偏見か。普通におるおる。

最近は「丁寧に暮らす」ことを意識している。

なるべく豊かになるように、手間が増えても大事なものがある。iphoneから聴くクラシックとCDとミニコンポで聴くのとは全然違う。生活を大事にしている感じがある。便利になればいいってもんじゃない。農家を初めてそう感じた。

だから知識本だけ読めばいいってもんじゃない。知識を受け入れる器が必要だし、芸術的な器になるには私にはやるべきことが多すぎる。人生をかける必要がある。

知識だけじゃない、人を受け入れる器が必要だ。自分だけの世界で知識を入れていても何にもならない。社会は私と知識ではできていない。たくさんの人間がいて、異なる価値観があって初めて新たなものが生まれる。居心地の良い環境は良くないと、常々思いながらも分かり合えないとイラッとする。笑

私はまだまだ社会のひよっこだから、学ばなければいけない。

人からも本からも自然からも。何物からでも学ばなければいけない。

何でだろう。学びは楽しい、それ自体が目的になっている部分もあるし、学ばないことでたどり着かないことの方が不安だからとか、学んだ先に何があるのかとかそんなことに興味がある。でも学んだ先に魅力的な何かがあるという幻想は若気の至りで、学んでも学んでも現状があるだけだとそう感じることが増えてきた。

そんな時は文学だ。

私は文学に素養のある人間ではないが、最近読んでいるシャルル=ボードレールは面白い。文学の世界ってビジネス系の人は絶対読んだ方がいい。ビジネス書と文学書の半々くらいが一番豊かに読書をできるし学びもある気がする。何でだろう。

こんな話をできる人が周りにいないのが悲しい。

自分の中で大事にするのもいいけど、広がりがない。だから自分が運営するカフェで何かの広がりになれればいいなと淡い期待を込めて、今日はこんな感じ。

文字を打っていると楽になれるから好きだ。

HHKBは楽器だから、叩いていると文字が羅列されている。

これも一つの言語なのかもしれない。

絶対に届かないけど。

では。

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