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エッセイって元々「試み」の意味らしいよ
おもしろいエッセイを書きたいと思ったことはないだろうか?僕もおもしろいエッセイを書きたいと思ったんだけど、どう書けばいいのか全然わからなかった。そもそもエッセイというものが何かもよくわかっていなかった。
そこでエッセイについて調べてみた。すると、エッセイの起源はフランスの哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュが書いた「エセー」にあることがわかった。
モンテーニュが「エセー」を書いたことで、現代のエッセイという文体が文学作品として確立した。そして、特におもしろいのが、この「エセー」という名前は、フランス語で「試み」や「試行」を意味する点だ。
インターネットで「エッセイ」について調べると、「自分の考えたことや感じたことを書くこと」といった説明が出てくる。それも間違ってはいないんだと思うが、エッセイの真骨頂は、つまり「自分の試行錯誤のプロセスを書くこと」と定義できる。モンテーニュが「エセー」(後の「エッセイ」)と名付けた理由は、この作品が終わりのない探求の一環であることを示したかったからと考えられる。
そう考えると、おもしろいエッセイとそうでないエッセイの違いが見えてくる。おもしろくないエッセイは、多分思考の結果だけを書いているのだろう。情報を伝えるという点では結果だけを書く方が親切かもしれないが、エッセイの定義から考えるとそれは間違っている。
エッセイで書くべきなのは、結果に至るまでのプロセスなのかもしれない。おもしろいエッセイは、そのプロセスを読者に追体験させる力が強いのだ。書き手が何に悩み、どんなことを思い、どんな情報を集め、そこからどんな答えを導き出したか、そのプロセスを読者はエッセイを通じて書き手と共有する。そして、読者はそのプロセスから書き手と同じ感動を受け取り、自分の生活に役立てようとするのだ。
モンテーニュのエッセイは、多くの他人の文章からの引用で溢れている。自分が考えたことだけを書いているのではなく、他の人が書いたことを引用し、モンテーニュ自身が生きた時代に起きたことを引用し、それらを基に彼が考えたことを書いているのだ。つまり、僕たちがエッセイを書くときにまずやるべきことは、考えることではなく既に書かれたことを調べること、そして今起きていることに目を向けることだと言える。
また、何も悩まず、何も思考実験をしていないのであれば、それはエッセイではない。エッセイを書くということは試行錯誤のプロセスを書くことだ。なので、考えるプロセス、悩むプロセス、試すプロセスは必要不可欠だ。
現代のインターネットには、答えらしいものがあふれている。インフルエンサーの意見や、人気のあるツイートなどが答えのように見える。しかし、エッセイを書きたいのであれば、そのわかりやすい答えを一度否定し、悩み、苦しむプロセスを経ることが重要なのかもしれない。
モンテーニュの「エセー」を読みながら、彼の引用の量と考えの深さに圧倒される。彼のエッセイが僕たちに教えてくれるのは、思考の結果ではなく、その過程の重要性だ。
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