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シナリオ通りの1年を終えて、先の読めない世界へ

こんばんは。今日が27歳ラストの日、ヨシキです。

この1年は、「銀行を辞めて、奥さんと世界一周旅行に行き、起業する」という人生の大きな節目となった年だ。

しかし、完全にシナリオ通りだった「予定通り」の1年間でもあった。


シナリオ通りの1年間

銀行をやめることも、結婚したらハネムーンで世界一周に行くことも、起業することも、全部予定通り。

いつ銀行を辞めるのかは分からなかったし、いつ結婚するのかも分からないし、いつ 何で起業するのかも分かっていなかった。
全部やるということは前から決めていて、その通りにしただけのことだ。

ただ、28歳を迎えるこれからは先の読めない世界に突入することになった。

学生時代はいつ卒業するとか、どんな知識が手に入るとか分かる。銀行で働いていればいつまで働けばどれくらいの貯金を作れてどんなスキルが手に入るのか読める。旅は行き先も期間も自分で決められる。

起業すると、本当に先が読めない。
「こうする」と信じるしかない世界だ。

僕は本も読むし人の話も聞きにいくが、根がバカなところがあるので、自分で見たこと感じたこと、体験したことでないと心からは理解できない。信用できない。
今回は、実体験を通じて学んだことを少し書こうと思う。

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挑戦しろ!一歩踏み出せ!まず、動け!という言葉の意味

流行りのビジネス書を読めば、起業家のセミナーに行けば、「挑戦しろ!一歩踏み出せ!まず、動け!」という言葉は絶対に耳にすると思う。
僕は実際に動くタイプ、それも後先考えずに動いてしまうタイプの人間だから、何もどこもかしこにも同じことを書いたり、話したりする必要ないんじゃないの?と思っていた。

しかし、この言葉を著名な人たちが、耳にタコができるくらい毎回言うのはやっぱり正しかった。

本当にみんな何もしない。ほとんど全員動かない。


いろんな人と会う機会が増えたが、相手が本当に挑戦したことのある人間か、口だけなのか簡単に分かるようになった。

行動する前(口だけ)の人は「ただ明るい」
思い返せば自分もそうだった。これやりたい!これやるぞ!と思って、情報収集をしながらいろんな人と会っている時は「ただ明るかった」気がする。自分にもできるはずだと信じているし、情報収集や人と会うことで自信をもらい、行動し始めた気になっているから自己肯定感もすごく高い。

しかし、実際に何かを始めると目の前にとてつもなく長い道があることに向き合うことになる。自分に自信がなくなる。
そして、「小さな闇」を持つ。
別に人前では明るく振る舞うのだけど、同じような相手と対峙すると分かる。そんな相手と特に苦労話をするわけでもないし、したくもない。だけど、分かる。

ここまでが、「挑戦しろ!一歩踏み出せ!まず、動け!」というよく聞く言葉についてだが、この言葉には続きがある。本やセミナーでは、この言葉の次の言葉として、「続けていれば勝てる」と聞く。
続けるだけで勝てるなんて、そんな簡単なもんではないだろ!と思っていたが、どうやら本当のようだ。

困難な道が広がっているとか、すぐにうまくいくわけないってのは想定通りだ。

では、なぜ続けるのが難しいのか?

それは、「がむしゃらに頑張ること」はすごく難しいからだ。
実は、僕も思いっきり頑張れていない。


「これだ!」と思って飛び込んだはいいものの、

ビジネスを通じて自分がやるべきことはこれなのか?
自分が幸せにしたいのはこの人たちなのか?
自分がやる必要があるのか?
なぜやるのか?

と、自問自答を繰り返すことになった。
(恐らくみんなこうなる。)

自分のビジョンについてハッキリと言い切れる人を本当に尊敬するようになった。思い返せば、ベンチャーキャピタルの人と会った時にも似たようなことを聞かれた。起業家が困難に負けずに事業を続けられるかは、この問いに確固たる答えを持っているかという部分がすごく大きいのだろう。

この問いに自信を持って答えられなくなっている僕は、がむしゃらに頑張れていない。だけど、頑張りたい。何もできていない自分が一番キツイ。


挑戦するかしないかの間には大きな川が流れている。
その川を越えると、力を尽くせるかそうでないかの間に深い谷がある。
この谷を越えてから、とてつもなく大きな山を登り始めるのだ。

頑張ることは難しい。どんなに頑張りたくても簡単には頑張れない。
僕はまだ、谷を越えようと、もがいているところだ。



どんな困難でも人生においてネタでしかない

この「どんな困難でも人生においてネタでしかない」というのもちょくちょく聞く気がする。この言葉について「そりゃそうだろ♪」と100%同意していたが、やっぱりそうだなと感じた。

僕は学生の頃からバックパッカーとしてひとりで旅をしていたので、トラブルには人一倍巻き込まれてきたと思う。

ワーキングホリデーをしていた時に、
仕事もお金もなくなって「GIVE ME JOB」と書いた段ボールを持ってスーパーの前に立ったことも、
海外で運転していた車で事故を起こして廃車にしてしまったことも、
洪水で肩まで水に浸かり流れるプール状態になった道路をバックパックを頭の上に担いで何キロも歩いたことだってある。

だから、何かトラブルがあれば「やばい、やばい」と焦る気持ちを感じつつも「これはネタにある」とニヤニヤしてしまう気持ちがある。

そんな僕なので、銀行員時代は3LDKの社宅に住んでいたのが、夫婦ふたりで3畳の部屋に住むことになってしまったことだって、正直少しオイシイ話だと思っている。食事だって質素だ。全然飲みにも行けないし、サバ缶と納豆ばっかり食べている。
起業のことだって最初からうまくいくわけないと思っている部分があるので、多少のことは大丈夫。

しかし、僕はこれでいいかもしれないが、カオリという奥さんがいる。
そう、僕だけではない。

だから、カオリに申し訳ないなと感じていたのだが、僕は本当に良い奥さんに出会った。これは自慢。
実は、最近3畳の部屋が狭すぎて、たまりかねて5畳くらいの部屋に移ったんだけど、移ろうと言い出したのは僕。カオリは少しでも固定費を節約するために3畳の部屋のままでいいんじゃない?と言ってくれていた。

心強いパートナーがいることに感謝しつつ「あれはネタだったな!」と笑い飛ばしていきたい。



そして、もうひとつ。

自分が見ている世界は、世界のごく一部でしか無い。

当たり前のことだが、そのことを忘れてみんな自分が見ている世界が全てかのように思い込んでしまう。

twitter が嫌になれば他のSNSを見ると全く違う世界が広がっているし、twitterで10万RTされていることだって世間では知らない人の方が圧倒的大多数だ。自分がどれだけ「この人は有名だ」と思っていても世間の人はその人のことなんて知らない。減少傾向と言えど、日本は人口の多い国だ。これが当たり前だ。

「自分が見ている世界は、世界のごく一部でしかない。」

これは人に関してだって、本だって、なんだってそう。

要は、楽しんだもん勝ちってことだ。楽しむ場所はいくらでもあるし、嫌なこともちっぽけだ。
ましてや、自分のことなんて誰も知らない。落ち込むのは一瞬で十分だ。
何か起きたらネタが増えたとニヤニヤしていく。(と、自分への戒めも込めて。)


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さて、あと数時間で28歳になる。

起業してみて、良くも悪くも「人間」とすごく向き合うことになるが、一番向き合うことになったのは紛れもなく「自分」だった。

「なにがしたいのか?」
「どのように生きたいのか?」

これらの問いの答えを探し続けているが、27歳の間に答えは見つけられなかった。
いや、少し答えは見えてきている気がしている。

自分がそこに向かう選択をするのかはまだ見えていない。

何が起きるのかさっぱり読めない28歳での1年間が幕を開ける。

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