見出し画像

【経験談】精神疾患など苦しい人生にしないためにやめた方がいい心の持ち方2選

こんにちは  よっしーです。
こちらのnoteでは、普段感じている雑多な悩みや日記を思いつくままに吐き出す目的で日記を書いていますが、今回はちゃんとした記事っぽく僕も真似して「〇〇2選」みたいな記事を書いてみます。
3選にするといい感じでしたがちょっとまとめきれませんでした。
最近、下記のようなブログもはじめました

しかし最近は更新が止まっていますが…


私たちは、未来、自分に起こる運命が苦しいものにならないように、あれこれ考え、行動しています。

いったい自分の未来の運命を引き起こす原因は何か、簡単に言えば「どんな心(気持ち)で行動しているか」です。

もちろん、例えば道で転んだ時、原因は自分が石につまずいたからだとか、細かいことは色々あれど、やはり大局的に見て、原因の根っこにあるのはやはり自分の心のあり方です。
どういう心でやっているかが積み重なって、後々それによる結果が出てきます。

そこで、僕の経験談にすぎませんが、こんな心はやめたほうがいいということについて紹介します。

1.「私が倒れるまでやれば、だれかがわかってくれる…」

あなたは今、こんな心で自分を殺して生きていませんか?

きっと、納得できないけどやらざるをえないような袋小路にいる苦しさから、自傷行為にも似た考えで無茶苦茶に走ってはいませんか?

だれもわかってくれないなら、もう倒れるまでやってやる…
もしそんな気持ちで行動しているなら、どうか1度立ち止まってみてはいかがでしょうか。

あなたはもうじゅうぶん苦しんでいるはずです。
だから、これからはあなたが幸せになれるような生き方にシフトしてくださいと言っても、そんな道が見いだせないからこそそのような考えになっていると思います。
なので、まずは暴走運転をやめて通常運転に戻してみるところから。

ゲームならば、1回死んでしまえば、最初から全回復してやり直せますが、人生はそういうわけにはいかず、常に現在の延長に未来があります。

実は僕は20代半ばはこういう考えに支配されていましたが、幸いなことに「このままあなたが倒れたら、指示を出した人を恨む人生になるよ」と諭してくれた恩人の方がいたために、考えは徐々に変わっていきました。

同時に気づいたことは「私が倒れるまでやれば…」の心の正体は「恨み」だったのかなと思います。
オブラートに包まず言ってしまえば「私が倒れることによって、指示した上のヤツに責任とらせてやる」というどろどろした恨みの心です。

以後、僕はこういう恨みの心が起きてしまいそうな誘い等は丁重に断り、恨みで行動することはやめようと心に決めています。

2.「ザマー見ろ、こんなに落ちぶれてやったぞ」

これは育ててくれた方や教育してくれた様々な方に向けてしまう心です。
あなたは今、こんな心で自分で自分の人生を破壊して苦しんでいませんか?

なんだか自分の幸せを考えてくれていない、自分のことをわかってくれない感じがして、無理強いされているような厳しさを感じるけれど、強く育てようとしてくれている恩があることは確かだ、という板挟みになって、苦しんだ結果、このような自らを破壊することによって、あてつけをしてしまう、そんな心だと思います。

誤解を恐れず言えば、これにはどこにも悪者はいなくて、あなたはそうするしかなかったというのが実情ではないかと思います。

しかし、この心も立ち止まってみてはと思います。
今、「ザマ―見ろ・・・」の心が発端になって行動を決めていないか、ぜひ敏感になってみてはいかがでしょうか。

そして、誰かへのあてつけを無意識にする人生を送り続けるよりも、あなた自身の幸せを感じる方向に心を向けてみてはと思います。
こんな誰とも知らない私がnoteでちょっと書いたところで、心の向きを変えるのは本当に難しいです。

自分なんて幸せなんか縁のない人生だと思うかもしれませんが、だからこそまずは「ザマー見ろ・・・」の心を「やめる」ところから。
恨みの心に引きづられて何らかの行動を起こすよりも、何も行動を起こさずじっと忍耐することはとても立派なことです!



以上、僕の経験談ですが、こんな心はやめたほうがいいこと2選でした。

もしよろしければサポートお願いします! いただいたものは活動のための資金にさせていただきます!