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自分に正直であれ

「周りからどう見られるか」ということを基準に生きてきました。

小さいころから、自覚は全くなかったけれど、たぶん「ちょっと変な子」だったんでしょうね。
子どものころ、素のままでは同級生たちと上手くやっていけませんでした。

「茶目っ気」の仮面をかぶった嫌がらせをされたこともあったし、ある日突然無視されるようになったりしたこともあり。
無視は別に気にならないけど、嫌がらせは気分が悪いから嫌でしたね。笑

まぁいろいろと、対人関係において「生活に支障がある」という状態が続いておりました。

そんなこともあり、成長とともに「周りとなんとかうまくやる」という技術を模索しはじめたのです。
それは「笑顔を身につけること」「周りの人を困惑させないこと」といった習慣に繋がりました。
おかげでかなり生活しやすくなり、これでいいんだなと納得しておりました。

ところが、大人になると、「自分がない問題」へと発展します。
自分の意思がない、オリジナリティがない、誰かの真似しかできない。
そりゃそうだ、そういう生き方をしてきたのだから。
他人のやり方を模倣することでしか、平穏にはいられなかった。

まぁ言い訳でもあるんですが、そんな感じで自分という存在を無視してきたことのしわ寄せが段々と溜まってきて、ついに解消しなくてはならないところまで来ているなと感じています。

その考えは大分前から持っていたのだけれど、はっきりと輪郭を持ったのは、数日前によしもとばななさんの「『違うこと』をしないこと」という本を読んでから。

自分の感じる「ちょっとした違和感」を無視しない。

これがとても響きました。

なんせ自分のことは無視しまくって生きてきましたから。笑

私の場合、頭で考えて出した答えって、大概ちょっとズレているんです。
頭で考える、ということは「この違和感をいかにして自分とすり合わせるか」ということなんですよね。あくまでも私の場合ですが。
だから後から帳尻が合わなくなってしまい、続けようと思ったことが続かなくなる。
そして自分ってダメなやつだなぁと自信を失う。
この繰り返しでした。

これからは、もっとずっと自分の感じたものを大事にしていきたい。
今まで長いこと、土に埋めてきましたからね。笑
誰に見せるでもなく、自分自身で大事に扱ってあげたいなと思います。

もう子どもではないし、誰かに何か言われても全然平気。怖くない。
だからそろそろ自分らしさの中で生きていこう。
自分の感覚に正直に在りたいと思います。

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