2000年代初頭と今のY2Kファッション

久しぶりに文章を書いてみる事にした。
自分の頭を整理できるかもしれないしもしかしたら誰かの為になる事もあるかもしれない。
とにかく挨拶もそこそこに本題に入っていく。


題名にしたことが全て

結論ファースト。仕事をしていればよく結論から話せと言われる機会もあるかと思うがこちらもその通りである。今回の内容は全て表題に回帰する。
しかしながらここを伝える上でプロセスの方が大切となる。
そこが欠落すると8割方伝わらないからである。

なんで今Y2K?

WWDの記事で「今のY2K」という言葉があった。その一言でなるほどと感じて筆をとってみた。
ちなみにその記事は未読である。
Y2Kについてそもそもの意味ではYはyear、Kは1000。2000年代あたりのことを指す。
何故かといえば答えはわりとシンプルでファッションのサイクルは20年ほどだと言われている。ここについてはそういうもんだよと諦めても何故なのかと探求しても同じようなゴールに辿り着くように思う為割愛する。

00年代のファッションスタイル

細かく話すとここだけで3万字はゆうに超えてしまうためシンプルに行こうと思うが、
まずは一旦全てをやり尽くされたと考えられていたのがこの時代だ。
80年代に贅沢で華美な表現をしたあとで90年代にはグランジやミニマリズムのムーブメントが起きた。
そこには経済的な理由やそこからくる思想の変化も伴っており、サンバカーニバルの後で葬式、マーラーの後でショパン。そのくらいの落差であったと表現しても過言ではないだろう。

大きくも小さくもやられてしまった、どうしよう。である。

しかしストリートはそんな時代の空気感を切り裂くように独自の文化が同時多発的に発生していく。

ストリートスナップに載りたい!

ファッションにはモチベーションが必要だ。
気になる人物に認められたい、自分を表現したい、注目されたい。

この時代に注目される方法というものは限られる。テレビに出られる人間もさらに限られる。一般人なのにファッションのモチベーションになるものはなにか。
インスタ?ない。SNS?ない。もういい?

雑誌のストリートスナップである。

これは当時、ファッションヴィクティム(愛を持ってそうよばせて欲しい)達にとってとても重要なモチベーションになっていく。

雑誌という媒体はとても普及していて、ストリートスナップに大きく掲載されれば学校のヒーロー。
常連ともなるとファッションや美容系の有名店への就職も有利になるほどの影響力もあり、
承認欲求という言葉が一般的でなかった時代においてコネも学歴も関係ない、見た目とセンスで一躍ストリートの話題をかっさらう事が可能なものであった。
それまで身内で「あいつはシャレてるよね」くらいだったものが芸能人のようになる爆発力をもっていた。

私が見ていた子の中で最も熱意があった人物は
スーツケースを持って参上。
一度表参道を一往復し、声をかけられなければラフォーレのトイレで着替えもう一往復。
1人表参道コレクションである。

しかし本人は真剣だ。
みんな何者でも無いのだ。フリーターだったり美容師の見習いだったりアパレルだったり。
金もコネもない中でもがき、工夫しても結果は出ずに挫折しそうになりながらまた挑む挑戦者。
青コーナーの奴らが沢山いた。

同じような奴が増えた結果

「沢山いた」と言ったように、ストリートスナップに載りたい者はどんどん増えていった。
シンプルじゃダメだ。あのカメラマンは反応しない。もっと、もっとだ。

筋肉をデカくしすぎてスピードを失ったベジータのように、
ストリートはどんどん過激になり多数の系統にも派生していく。

雑誌も多種多様であった。
ストリート系、B系、パンク、ゴス系、個性系、サロン系、サイバー系、ギャル系、などなど。

それぞれのカテゴリーがあり掲載されやすいスタイルを研究する者もいる。

加熱しながら研究と実験を繰り返しながら日々戦うようにして服を買って着て、組み合わせてレイヤーして悩んで友達と夜な夜なコーディネートを相談しまくる。

この時代を服好き現役で走り抜けた者たちは今や30代中盤から40代中盤ほどではないだろうか。
この年代、コーディネートが得意な者がとても多いのはこのバトルロイヤルのような時代の恩恵であると筆者は推測している。

調べればわかる事と分かりづらいもの

データは遡ればネットでも見られる。
「2000年 ファッション 流行」「00年代 ブランド」「00年代 服装 シルエット」
なんとなくの情報はでてくるし当時の雑誌も古本屋で売っている。

だから私はあえて先程までの中で明確な流行にはあまり触れていない。

温度感と当事者たちの感覚と感情と時代背景。
ここにタッチするかどうかでリアリティは当然違ってくる。
当時あったブランドと流行ったシルエットがわかればY2Kと言えてしまう。

しかしここについて私は逆説的だがこれに賛成する。

ファッションはいつもそうじゃないか

00年代当時、「80年代風」「70年代風」のファッションをやる奴らがいた。
僕らもそこから何かを取り入れてみたりしたものだ。
しかし当時我々に対してその時代を生きた先人たちは言った。
「俺たちの時はそうじゃなかったよ」

でしょうね。もう一度言います。でしょうね。

当たり前じゃん。別にそこまで調べてない。
たまたまその時代の音楽に触れて一つのPV見ただけ、洋書に載ってたスタイルを参考にしただけ、なんとなくのイメージなだけ。
自分が体感してない古いものって逆に新しく感じるんだよ。
スマホで写真撮りまくれる今、写るんですとかチェキは新鮮だったりしませんか。

それをうすっぺらいだなんて言うのは簡単だ。
自分たちと違う事を貶す事も簡単だ。

でもそもそもファッションはそんなに不自由でつまらなくて排他的なものだったか?

参考資料となるものをいくつか見てそれを今の時代を生きる者が咀嚼して取り入れるからファッションは進んでゆくのだ。

当時のコピーもたまにはコスプレ的な楽しさはあっても新しくはないじゃないか。

デザイナー側にも今のY2Kの表現を揶揄するものはいる。
それも自由だし、「俺ならこうするぞ」と見せてくれるならそれは面白いと思う。

しかし浅いだなんだと言うだけだと感覚が老害的になってはいないか。

つまらない大人にはなりたくないものである。

結論

冒頭で述べたように題名に回帰となる。

00年代初頭のファッションと「今のY2K」はもちろん違う。
違うからこそ私はなんだか安心している。

あの頃のアイテムを今の10代、20代の子たちの感性でどんなコーディネートをするんだろう。
どう感じるのだろう。

ワクワクさえしている。

「Y2K」一人歩きする過去の遺産よ。
モノと画像と荒い映像から読み解くニューエイジと感覚と感情と熱意でもがいた同志達よ。

その全てを取り巻く滑稽な売買と商業的な戦略とディグり力、ピックの判断に幸あれ。


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