見出し画像

瞑想っぽく息抜きしてみる

どうしてもやる気が出ないので、英訳華厳経をアマゾンAlexaに読み上げさせつつ文字を目で追っていました。

何度も読んだ内容なので、ボーッとしてるのと同じくらい、身体のどこにも負荷が掛かっている感じはない。時間が経つのがゆっくりになり、5分か10分ほど内容に集中しているうちに身体のだるさが感じられなくなり、背筋が伸びてきました。

2011年、震災の年に初めて読んで、文の構造や単語が馴染みがなくて難しいなあと思っていた頃から、この華厳経に集中して没頭するとすーっと背筋が伸びて、まるで背後の目に見えないところまで、視界が広がっていくような不思議な感じになるのが不思議でした。

疲れているときでも何時間でも読めるので、1500ページ以上ある、仏教経典の中でも特別大部な書籍であるにも関わらず、全部読むのに1年掛からなかった気がします。

背筋が伸びて、頭の後ろまで目ができて視界が広がる、という感じですが、道行く人や気楽に付き合っている知り合いでも、そういった主観的体験をしているように見える人がいるので、これまた不思議でした。

音楽を仕事にしている人で、言語よりも感覚で生きてるっぽい人が多い気がします。

言語というのは、人間社会への適応のための強大なツールともなる一方、囚われるとどんどん、次の思考のみならず、現在の身体の機能まで縛って、人を不自由にしてしまうようなところがあるように思います。

勉強で忙しい毎日でも、日に1時間は、こういった「自由」な体験を忘れないようにしたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?