「神」の領域とは

●『神』の領域とは・・・

先日、2023年8月30日のことである。
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朝、玄関を出ると、1階の自動販売機のところで、ご近所のおばさんが何かを買っていた。
※マンションであり、1階に自動販売機がある
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朝の挨拶を済ませると同時に・・・
おばさんが・・・
「自販機に¥100入れたけど出てこなくて、もう¥100入れたら1本は出てきたけど、¥100返ってこないねん。どうしたらいいんやろか?」
と、聞いてきた・・・
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私が・・・
「あら、なんででしょうね?」
と、返却ボタンいじったりしてたら、返却口に¥100が戻ってきていた。
おばさんは気づいていなかったのだ。笑。
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私・・・
「返ってきてますよ!」
と¥100を渡す。
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すると・・・
「いや、ほんま~」とおばさん。笑。
「ありがとう~
 なんか飲み~、ほら¥100入れるで」と・・・笑。
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私・・・
「いや、いいです、いいですよ。笑。
 せっかく返ってきたのに。笑。 ありがとうございます。」
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と、3回ぐらいやりとりしたけど、おばさんは引かない。笑。
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私、根負け・・・笑。
「じゃあ~お水もらっていいすか?」
ということで、お水もらった。笑。

そのときである・・・
また、胸の中心=ハートがじんわり熱くなり、開いていく感覚に。
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これは・・・
ふと、これが、「神」の領域なのではないか、と直感する。
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何をするでもなく、社会的な立ち位置、家庭での役割や立場、そういう全てを取っ払っていった先・・・
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ただ、ただ、「存在」するだけ・・・
そこに「在る」だけ・・・
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それこそが「神」の領域なのではないだろうか。
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たわいもない、何気ない日常の出来事。
ただ、親切にして、水をいただいただけ、である。
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水をもらったから、ラッキーではなあるが、そういう意味ではなく、ただそのタイミングに出会い、そこに「いた」=「在る」だけ。
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そうした・・・
ふとした行為の中に・・・
日常の中に・・・
「神」の領域が在るのではないだろうか・・・
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どこかに、「神」の領域があるのではなく・・・
何気ない・・・
なんてことない日常が・・・
「神」の領域なのではないだろうか・・・
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ふとした瞬間・・・
その一瞬に・・・
それを・・・
「神」を感じることができるか・・・
「気づくこと」ができるか・・・
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すべては・・・
「足元」にあり・・・
すべては「自分自身」が「それ」であり・・・
「在る」ということを「感じる」ことができるか・・・
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それが「神」の領域なのでは在るまいか・・・


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