あの頃のSHINeeはもういない [後編]
前編はこちらから👇
SHINeeから離れていた間も、SHINeeのことを全く忘れていたわけではない。というかSHINeeを忘れるなんて、そんなのこれから先も無理に近い。だけど、彼ら以外の大切な人たちや素敵な音楽に出会ったり、仕事での責任が大きくなったり、学生時代とは違う趣味ができるにつれて、SHINeeを想う時間は格段に減っていった。それと同時に、SHINeeWORLDという世界に触れることも少なくなっていき、私はシャヲルであると胸を張ることができなくなっていった。
SHINeeの希望になれない私
そんな中、先日大学時代のシャヲル仲間から突然連絡があり、「SHINeeのドーム行かない!?」と誘ってくれた。誘われた瞬間は「今の私がSHINeeのライブに行って昔のように楽しめるのだろうか」「というかシャヲルとは言えないのにライブに行ってもいいのだろうか」「メンバー三人だけのライブで満足できるのだろうか」など色々不安もあり迷ったのだが、友人に久しぶりに会いたかったこともあり、久々にSHINeeのライブに参戦することにした。
友人から連絡が来た時に感じた不安のあれこれを吹き飛ばすくらい、久しぶりのSHINeeは最高だった。披露される楽曲たちは紛れもなく私が大好きだったSHINeeの音楽で、音に乗せられる声は三人のものだとしても、そこにはちゃんと五人の音楽が存在していた。のっけから『Sherlock』でテンションが上がりまくったし、そこからの『Picasso』『Stranger』の流れなんて言うまでもないだろう。1stコンサート以来の「むっきんちぇー!」を叫べたことも感激だったし、近年の楽曲で一番気に入っている『Body Rhythm』を生で聴けたこともハイライトの一つである。
最高だったのは音楽だけではない。相変わらずプロフェッショナルエンターテイナーなきーくんも、トロッコに独りで乗っても3人分くらいのエネルギーを放つミノも、兄たちの話を全く聞かずに変な動きでシャヲルを操り出すテミンも、たとえ空白があったとしても何にも変わらない、私が大好きな人たちがそこにいた。
もちろん良かったことばかりではなかった。色々な側面でオニュの不在は大きいなと思ったし、韓国語のまま歌う楽曲と日本語で歌う楽曲の違いもよくわからなかったし(いっそのこと全部韓国語で歌えよと思った)、サプライズのタイミングもよくわからず消化不良で終わってしまった。ただし、不満に思った点を遥かに凌駕するくらい楽しいライブだったことはちゃんと強調したい。
そんな最高のコンサートの中で、私が思わず涙を流してしまった場面がある。それは最後のお別れのMCでのミノの言葉を聞いた瞬間だった。
「いつもみなさんが、僕にとっての希望です。」
いつからかは忘れたけれど、ミノがずっと言い続けてくれているこの言葉。日本語で伝えられるとあまりにも真っ直ぐすぎて、少し気恥ずかしさもあるが、いつも暖かい感情にしてくれる言葉だった。この言葉を聞いた瞬間、私は思わず涙を流してしまった。それは感動の涙でもあり、嬉し涙でもあり、苦しさゆえの涙でもあった。こんな私でも誰かの希望になれることが嬉しかった。ずっと変わらないミノの真っ直ぐさがありがたかった。あなたの希望であることが、私の人生の希望かもしれないなんて浮ついたことを本気で思った。でもそれと同時に、今の自分がSHINeeの希望としてのシャヲルである自信がないから、とても苦しかった。これだけずっと希望だと伝えてくれているのに、そんな彼らをずっと支えていくと約束したはずなのに、SHINeeから離れてしまった自分が申し訳なくて泣けてしまった。
SHINeeとの思い出の場所で、久しぶりにSHINeeの音楽に触れてとても楽しかったし最高だった。彼らの音楽が大好きだったということを再確認できたし、こんな私の中にも彼らの光がまだ生きていたことがわかって安心した。でも、それでも、私は自分がシャヲルであると言い切ることはできなかった。理由は、これから先の彼らの活動を「シャヲルとして」「熱を持って」応援する自信がなかったから。より根本的な理由は、前編で触れた、私がSHINeeから離れた理由に同じである。
あの頃のSHINeeはもういない。
東京ドーム公演から1ヶ月ほど経ち、またもや大学時代のシャヲル仲間と今度は映画 『MY SHINee WORLD』を鑑賞することになった。実は『MY SHINee WORLD』が韓国で公開されている時、私はちょうど韓国出張に行っていて、興味本位で『MY SHINee WORLD』が上映されている映画館まで足を運んだことがあった。結局一人で見る勇気がなく帰国してしまったのだが、シャヲル仲間と一緒なら同窓会気分で気楽に楽しめる気がした。きっと友人たちも同じことを思ったのだろう、あれよあれよとその場のノリと勢いで鑑賞が決まった。
期待した通り友人たちとの鑑賞はとても楽しめたし、そもそも映画自体が期待以上に良いもので、SHINeeの音楽を映画館の良質な音響で聴けたことがこの上ない幸せだった。東京ドームのときと同様に、やっぱりSHINeeの音楽が大好きだと再確認できたことはもちろんのこと、SHINeeの昔の映像を見ながら私自身の人生を振り返っていることに気づき、自分の青春時代が常にSHINeeと共にあったことを思い出すことができてとても優しい気持ちになった。(長くなるので、日本活動がとことん省かれていたことへの憤りや、やはり『Don't Call Me』以降の音楽に乗れないことへの寂しさは深く語らないことにする。)
その中でも一番良かったことは、『MY SHINee WORLD』を鑑賞しながら、今までのモヤモヤがスッと晴れる瞬間に出会えたことだった。
そう、この手記はここからが本題なのである。
その瞬間は、『재연(An Encore)』のライブ映像を観ている時に訪れた。
テミン、きーくん、そしてジョンヒョンと歌い繋いでいくこのパートを聴いている時、まるで私とSHINeeのことを表しているような歌だなと思った。年月が過ぎてSHINeeへの愛の形が変わったって、応援の熱量が変わったって、私がSHINeeと共に過ごした日々や彼らのおかげで今の私の人生があるという事実は何も変わらない。SHINeeの五人が私の人生において一番な大切な人たちであることも変わらないし、私が人生を終えるときに、SHINeeの音楽を流して見送ってほしいという願いも昔から変わっていない。それは結局、「私の最後の”答え”がSHINeeである」という証拠なんだと思う。
だけど、それでも、私はどうしても今のSHINeeをファンとしての熱量を持って応援する自信がない。そんな私がシャヲルと名乗ることは許されるのだろうか。今のSHINeeを応援できなくても、シャヲルでいていいのだろうか。
私が抱えるこの葛藤を、スッと軽くしてくれたのは、やっぱり彼のパートだった。
全ての力を振り絞るようにして歌われるジョンヒョンのパート。この歌もこのパートも何回も聴いているけれど、このジョンヒョンの歌声を聴きながら、私の頭の中に”””ネガティブな言葉”””が浮かんだのは今回が初めてだった。
「ジョン、違うよ、私たちの”再演”は叶わないでしょう。」
あの頃人生を共に過ごした私とジョンヒョンが、SHINeeが、この先同じ形で”再演”されることは決してない。
だって、キムジョンヒョンは死んでしまったから。もう二度と戻ってこないのだから。
もちろん”再演”をどう解釈するかによって180度変わってくる話だ。この時の私は、”再演”を「私があの頃と同じ気持ちでSHINeeのライブを楽しむこと」と受け止めた。ただ楽曲を聴くのではなく、ライブ映像を鑑賞していたことがこの解釈に繋がったのだと思う。この楽曲を常にそう解釈しているわけではない。前述したように、『재연(An Encore)』を聴いてこんな気持ちになったのは初めてだった。
でも決して前向きではないこの気持ちが、驚くことに私の葛藤を断ち切るきっかけとなったのだ。
私が今のSHINeeを以前のような熱量で応援できない理由は、私が「シャヲルをしていたあの頃」から、私もSHINeeも変わってしまったからである。変わってしまったものの中に「死」という不可逆な事象がある限り、もうあの頃が再演されることは叶わない。大好きだった「あの頃のSHINee」に、この先再び出会うことは絶対に叶わない。
── あの頃のSHINeeはもういないのだ。
今までの私は、この事実を認めることができなかった。「あの頃のSHINee」と「今のSHINee」を切り分けることをせず、「SHINee」は今もずっとそこにいるんだと思い込もうとしていた。だから、今のSHINeeを応援できていない=SHINeeを応援できていない=シャヲルではないという思考が出来上がってしまっていたのだ。
過去と現在を切り分けることができなかったのは、そうすることで今も輝き続けるSHINeeを否定してしまうような気がしたから。絶対にSHINeeという光を絶やすまいと、必死に活動を続けるメンバーたちを否定してしまうような気がしたから。そして何より、過去を切り取った瞬間、ジョンヒョンをそこに置いていってしまうような気がしたから。
だから、五人のSHINeeはもういないのに、四人/三人のSHINeeに無理やり五人の影を見ようとした。過去も現在も関係なく不変的な存在としての「SHINee」を愛せなければ、シャヲルとはいえないんだと自分に足枷をかけていた。その足枷のせいで、もう私はSHINeeを愛せなくなったんだと勘違いをしてしまっていた。本当はただ「今のSHINee」への熱量が落ちてしまっただけなのに。
私は五人のSHINeeの音楽が好きでシャヲルになったのだから、変わってしまった彼らの音楽が好きになれないのは当たり前だ。それが、SHINeeの音楽の要だったと言っても過言ではないキムジョンヒョンを失ったのだから尚更である。私は何よりもSHINeeの音楽が好きで、彼らの音楽が原体験となったからこそ長年シャヲルであったのだから、音楽抜きで彼らを愛することは難しい。そこに環境や年齢による価値観の変化が加わってしまったのだから、同じ熱量で今の彼らを応援することがさらに難しくなってしまった。
でもだからと言って、あの頃の彼らまで愛せなくなる必要はないのだ。「あの頃のSHINee」は、「あの頃のSHINee」として、大切に切り取って愛せばいい。必ず今を愛さなければいけないなんて決まりはない、過去を愛したっていい。むしろ、今を愛せないせいで、過去への愛を絶やすことがあってはならない。だって、キムジョンヒョンは、過去にしかいない。今後SHINeeが「あの頃のSHINee」に戻ることは一生ない。悲しいけれど、それが私が受け入れなければいけない事実なのだ。
過去のSHINeeを愛するということ
「懐古厨」という言葉がある。これは「過去は良かった」と嘆く人たちのことを指す言葉であり、元々は2ちゃんねるで生まれた言葉らしい。「懐古厨」という言葉は「厨」という字面からも伝わるように良い意味の言葉ではない。自分が好きだった昔(の作品)への思い入れから、現在(の作品)を下げてしまう人のことで、現在が好きな人にとっては心底鬱陶しい存在である。
この「懐古厨」という言葉が私にとってのもう一つの足枷であった。新しくSHINeeに出会う人もいる中で、今のSHINeeを愛している人もいる中で、「あの頃が好きだった」「あの頃が最高だった」と古参マウントにも取られかねない発言をすることは控えなければならないと思っていた。過去を知っていても前を向いて(過去を含んだ)今のSHINeeを精一杯応援する人もたくさんいる中で、「やっぱあの頃が好きだな」なんて言ってはいけないと思っていた。
さらに、現在の活動を”追って”こそ、”現役の”ファンであるという暗黙のルールがアイドルファン界隈には存在していると思っている。そのため、現在の活動を”追う”ことができない私は、シャヲルではないのだと勝手に自分をファンから除外していた。これが三つ目の足枷だ。(これもファンダム文化の悪しき風潮である。)
けれど、この一連の経験を通して私が出した結論は、「あの頃のSHINeeを愛している」という自分の気持ちを最も大切にしなければいけないということだ。SHINeeのメンバーやシャヲルに配慮することで(そもそもそんな配慮誰も望んでないかもしれないし)、大切な思い出が曇ってしまうくらいなら、誰かに煙たがれようと自分の気持ちに正直になるべきだ。それに値するくらい、五人との思い出は私にとって大切な宝物なのだから。
だから、私は、私が五人のSHINeeを愛することを認めてあげようと思う。「あの頃のSHINeeが好きだった」「昔はシャヲルだった」と、好きという事実を過去にするのではなく、「あの頃のSHINeeを今も愛するシャヲル」として、胸を張って生きていこうじゃないか。たとえ、これから出てくる彼らの作品を心から好きになれなくても、現在の活動を追えなくても、私はシャヲルなんだ。この先もずっとずっとシャヲルなんだ。そうやって前を向いてSHINee WORLDに帰ろうと思う。