金・モノ・地位にとらわれないためにしていること?
きょうの #wellbeingダイアログ での問いです。
金やモノ、地位は地位財(positional goods)と呼ばれるものですが、これは周囲との比較により満足を得るものと言われています。
こちらをみると得ては満たされ、また渇望するような渇きを何かで満たそうとする衝動のようにも見えます。(全てがそうというわけではないです。地位財を通したリレーションシップもあるように思います)
ではその対はどうでしょうか。
非地位財(non positional goods)は、他人との相対比較とは関係なく幸せがえられるものです。
健康や愛情、友人関係、自由、社会への帰属意識(ある集団の中で自らがその一部として自覚を持つこと)などがあります。
この対をみたところでは、他者や周囲との比較の中に満足を得ようとしたり、優位性を持つような状態だと、潮の満ち引きのようにいつまでも満ち引きを繰り返して、いつになっても自分のコップの水は満ちることを知らないようです。
金・モノ・地位にしても目的にはなり得ず、それらは何か次の行動のための手段だということを忘れてないようにしたいと自戒を込めて想います。
手段が目的化している時、その時を思うに、何かを守る生存戦略的な行動をとっているようにも感じます。
その時は脳がエラー検知していて、フォーカスがおかしいことにさえ気づかないです。そういう時は信頼する師や友の言葉に耳を傾ける余裕を持つことや、何に私は執着しているのだろうと、自分に対しての問いのアンカーを打ち込んでおくことが必要な気もします。
お金を使わずに生活をすること。
モノを最小限にするもしくは、不自由にして生活する。
ヒエラルキーがない新たなところに飛び込んでみる。
上記3つはやりたいな。
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