恥ずかしくていえない感謝のステートメント
ありがとう。
人や物事対しての、リアクションとしてでてくる言葉です。
ありがとう。
この言葉は人や物事に対しての感謝の意を表現する言葉ですが、その裏側には様々な感情の波があり、それは月と潮の満ち引きのようにゆらいでいるものです。
ありがとうには面白い性質があります。
それは一般化されてはいませんが、ありがとうを言う人を中心にして、半径の長さが短いほど、ありがとうの言葉が重く(言いにくい)、長さが長くなるほど軽い(言い易い)印象があるというものです。
実際には、重いや軽いなんてことは無いはずです。であれば、何かが重みづけをしているはずです。それはなんでしょうか。
それは思考だと思います。ありがとうを言う人の思考の中で、言葉の重みづけがあるということです。
その言葉の重みづけというのも、ずっと変わらない重さではなく、状況によって重みづけが変わるものです。
友達へのありがとうと、結婚式に親へ告げるありがとうでは、どちらの方が重いでしょうか?それは想いに比例するというような感情への紐付きもあると思います。
この記事を書くに至ったのも、結婚式の新婦から両親への言葉を聞いたことがはじまりです。
あの言葉というのはいろんな意味があるように思います。
これまでの親子の歴史の振り返りから視座をあげるというもの。その前提には、これまでの偏った親との認知を解きほぐし、再度繋ぎ直すという再解釈が含まれています。だからこそ、感謝することができる。
そして宣言をする。親の元を離れ、生きていくということを告げています。結婚式で1番大事なのはここです。沢山の人々を前に未来を宣言するという行為にこそ、結婚式の価値が詰まっています。
そんなことを考えながら、新婦の言葉を聞くものだから、涙が滲んでくる。
ありがとう。
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