ショッピングモールで決して買えないもの
週末イオンモールへフラリと立ち寄り、ある大切な気付きを得て帰ってきた。そんな話です。
きっかけは、先週土曜日のこと。
午前中のうちに予定していた保存食の調理や洗濯を終えたので、午後からはちょっと足を動かそうと思い立ちました。
自宅で日がな一日を楽しむ、という過ごし方まだできず。お尻がムズムズしてきます。外の変化を求めたい欲が強いのですね。あまり我慢すると逆にストレスになるので、こういう気持ちになったら程よく出かけることにしています。
鮭が遡上する北上川。その幅広い川に架かる橋を越え、一路イオンモール盛岡南店へ。そこならKALDIのドリップコーヒーが買える、無印良品で雑貨もチェックできる。選択の幅が広いのでよく出向きます。
とはいえ、モールに入ったら毎回必ず買い回る、というわけではありません。そこが、昔と大きく変わったマインドセットです。
20代の頃は機会を逃すことを何より嫌っていました。
今思うと一種の強迫観念のようです。たとえ、その品はすぐ使わなくなると自分自身感づいていたとしても、買わずにはいられなかったのですから。
典型的な例は地域のお祭りです。
お祭りのために母からもらった特別なお金。そしてその日限りのイベント。そんなめったに無い雰囲気に飲み込まれ、理性はどこへやら。食べ切れないほどの屋台ご飯に手を出していました。体のどこにそんな量の焼きそばが入るんだ!お前はジャンボ白田か?と、今の私なら当時の自分をため息ついて眺めていることでしょう。
そんな「チャンスを逃さない」性格、悪く言えばなんでも手を出してしまう依存症も、幸いなことに変えることができました。
初めて訪れる観光地でも、遠方まで足を伸ばしても、不要なものは買わない。その場の雰囲気があっても、お財布の口は前ほど緩めなくなりました。ただケチになっただけでは?と思われるかもしれませんね。そう、間違いありません。大分ケチになりました。ですが前向きにとらえると、それだけ自制するようになったとも言えます。
我らが風来坊、スナフキンの言葉にちょっと近づいたでしょうか。
そういった訳で今回は買い物ゼロ。モールの中を軽い散歩です。
それだったらわざわざ行かなくても良さそう、と思いますか?しかし、買い物以外にも面白い過ごし方はあります。
買い物以外の楽しみ、その内の1つをご紹介します。可能性ゲームと名付けた遊びです。
自分が普段買わない品と、それを手に取る人たちを観察する。そして
「これを買う人はどんな性格?」や、
「もし自分がこれを買うとしたら、どんな嗜好に転じたときかな?」と、自分勝手に想像するのです。
いみじくもイオンモールという一等地に店を構えているのですから、どの商品も誰かに需要があるに違いありません。そう考えると、想像力の限り、その商品を買いたくて仕方がない人たちがこじつけでも設定できるはずです。
例えば、ベビーザらスだったら?
ちょっとお金に余裕があって、西松屋よりも背伸びして子供服を買いたい、若い夫婦。
ヴィレッジヴァンガードだったら?
変な雑貨が好きな大学生や、ジャンプコミックスだけでは我慢できない本好きのティーンエージャー
チチカカだったら?
この冬流行のファッションよりも、トラディショナルな東南アジアテイストが好き。SDGsに関心が高く、自然派かもしれない、などなど。
こうやって店頭とお客さんを自分で作り上げた偏見で眺めていると、たまに予想を裏切るシーンに巡り会えるようになります。これが面白い。
先日あったのは、とってもいかつい皮ジャンパー(金銀の糸で龍の刺繍がしてあるようなやつ)を専門で扱っている店舗でのこと。
横目で店内を見ながら、こういう外見重視の服を来ている人は、どんな人なんだろうか?と、いつものように考えていました。すると、店内で試着をしている人が1人。
その人は、、、車椅子にのったおじいちゃんでした。病院から退院したばかりじゃないか?とばかりに体調が悪そうな外見です。しかし、その人はその派手な刺繍が入ったジャンパーを着ながら、店員さんと楽しそうに話している。
その時念頭にあったのは、ハーレーダビッドソンの上でタバコを吸う中年プロレスラー、、、頭の中でイメージを作っていただけに、その不測のギャップに余計驚いたものです。
ただ歩くだけでこんな驚きに出会えます。可能性ゲームの面白いところです。
さて、そんな遊びをしながら、ふと頭に疑問が浮かびました。
別の場所なら買えるのモノなのか?それは食べ物か、雑貨か、本なのか?自問自答してみたのです。
今自分が大事にしているもの、、、そう考えるとまず、モノではありませんでした。
なぜなら、ミニマリスト嗜好になって、モノに対する欲を意識的に減らしているからです。仮にあったとしても、どうやってそれ無しで済ませるか、考える方が楽しい。真面目にいえば、「モノだけで何か解決できると思っている自分を自粛したい」という段階です。
「これが無いと生きていけない!死んじゃう!」というモノはどんどん減っています。ほとんどのモノは別に無くても生きていけることを知りました。これは、モノが潤沢な21世紀、さらに先進国ならではの判断かもしれません。
そう考えると、、、次に思いつくのは体験です。コンサートや、舞台。友人と興じるバーベーキューはどうでしょうか。
これはかなりポイントが高いです。後に何も残らないかもしれないけれど、思い出は残る。そこであった人たちと会話ができればなお嬉しい。記憶に残ります。
加えて、私の今の趣味は文章を書くこと。まさに今書いているようにです。コンサートの体験自体も刺激的ですが、それが記事のテーマになればさらにうれしい。私にとって二重の価値があります。
では、その体験の中でもどういった機会を一番求めているでしょうか。
そう考えると、すぐに思いつくものがある。かんたんでした。
それは、家族と過ごす時間です。
以前から何度か触れているように、私は単身赴任中です。自宅は長野。仕事場は岩手にあります。片道が700km以上あり、高速バスで帰省すると12時間かかる距離です。
家は別荘代わり。家族がいても会えるのは、一ヶ月の内、数日です。帰宅した時に「もう少し長く過ごしたい」と願ってしまうのは、もう習慣になりました。言うまでもなく、この欲求はショッピングモールのどのお店に足を伸ばしても、けっして解消しません。
家族との時間が大事。道徳の教科書に出てきそうな、全く陳腐なフレーズです。しかし、ショッピングモールの雰囲気から気づかされると、心の動揺の程度が違います。
それはモノのせいです。目の前にモノが豊富にあるほど、それでも叶わない欲求の価値がより大きく感じられるからです。
これほど巨大な設備を構えていても、数万種類の商品が並んでいても。自分が望むたった1つの体験は手に入らない。それを痛感するのです。
そういった訳で、この日は、感傷に浸りながらも、とても貴重な気づきを得ることができました。
下りエスカレーターで、私の後ろに立っていた子連れ一家も、にぎわうモールの中にこんなセンチメンタル男が混じっているとは、、、思わなかったでしょうね。
これが、先週心を動かされた体験です。
ショッピングモールは、ただ買い物する場所だけではない。モノと体験に対する気づきを深められる場所にもなりえます。ちょっと目線をずらしてみると面白いですよ。
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