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「何かが無い」が価値を持つ時代

生活をしている中で、なにかを買い求めると、お金がかかります。ファミレスでランチを食べる、スマートフォンを買い換える、アプリを購入する。

ですが、必ずしも何を「得る」ことだけに価値を見出すとは限りません。「得る」というよりは、むしろ「手放す」こと。無い状態に価値がある、ということもあります。

禅問答のような話ですがお付き合いください。

それを強く意識したのは、このデバイスを買おうか迷ったことがきっかけでした。

無刻印キーボード、ご存知でしょうか?
パソコン機器です。特別な性能を秘めている、ではありません。逆です。印字が何もされていないのです。

わたしの世代はデジタルネイティブとまではいいませんが、
学生時代にはすでにパソコンが普及していました。なので、プライベートで、仕事で、キーボードとは長い付き合いです。となると、キーボードにわざわざ印字がされていなくても、十分に使えます。

ピアノを長年弾いている人だったら、どこか「ド」で、どこか「ソ」か、カタカナシールを鍵盤に貼る必要はないですよね。それと同じです。

なので、無刻印のキーボードはとてもしっくりくるだろうな、と思い探してみたのです。が、、、、とても高い。

ニーズが少ないからでしょうか。キーボード1台に4万円、これには驚きました。今このnoteを打っているChromebook、2万円ですよ。
インプット機器だけで、本体の2倍の価格です。

ただ、これをきっかけに、「何かが無い」ということが(万人にとってとは言いませんが)価値を持つのだな、ということを再度実感しました。

わたしはミニマリストを目指しているので、部屋の中に不要なものは置かないように心がけています。
なぜかといえば、不要なもの、例えば、雑貨や家具が視界に入ることで、「片付けないといけないな」とか、「最後に掃除したのいつだっけ?」と頭に浮かんでしまうから。

テレビやスマートフォンに限らず、そこにあるものは、音を立てなくても存在感をもつのです。

なので、あれこれ家具を買い揃えるよりも、逆に減らしていったほうが、心を落ち着かせるには最適。と考えるようになったのでした。

「モノが無いことで、快適な空間を得る時がある」この理屈を受け入れるなら、無刻印キーボードが高いのもうなづけます。

何かが無い、ということも立派に価値を持つのです。

なんでもAmazonや楽天で買える良い時代。モノが出そろった社会では、無いということも立派なビジネスになるようです。

ちなみにキーボードは今回見送りました。

わたしはノートPC派、印字に関係なく余分な買い物になりそうだからです。

本末転倒にならないように気をつけないと。
クワバラクワバラ。

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