19.聖書から学ぶ人間の本質②〜霊の特徴〜
こんにちは^^
私のノートをご覧になってくださる方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございます。
前回の記事から、聖書を通して「人間の本質」に迫っていきつつ、「人生の目的」について考えてみようということで、記事を書き始めています。
前回は、
・肉体や心・考えを満たすだけでは「成功した・幸せだ」ということは難しい
・心・考えを治める、より高次元の存在である「自分の霊(自分の本質)」について学んでこそ持続的な幸せにたどり着く事ができる
という話をしました。
今日は、<霊の特徴>についての話をしてみます。
<霊=目に見えない存在>
まず、霊についての話をしようとする前に、
「そもそも霊って存在するのか?」という話をします。
人によっては「目に見えないものは信じられない」という人もいるでしょう。
しかし考えてみると、私たちの身の回りには「見えないけど存在を認識しているもの」に溢れています。
重力・風・インターネット・電波などがそうであり、心や考えも、見えないけど実存していることがわかります。
なぜ「見えないのに存在を認識できているのか」というと「自分が存在を感じているから」です。
物が下に落ちる様子を見れば見えない重力が存在することがわかり、
物が揺れている様子を見れば見えない風が存在することがわかり、
Wi-Fiを繋げてインターネットを使用すれば見えないインターネットが存在することがわかり、
遠く離れたところに居る人に電話をすれば見えない電話線が存在することがわかります。
自分の心の動きを実感すれば心が存在することがわかり、
自分が何かを考えれば自分に考えが存在することがわかります。
「霊」という見えない存在も、自分が存在を感じれば、その存在を確認することができます。
前回の記事で、肉体を満足させ、心と考えを満足させても、それでも幸せを感じられない人がいるという話をしました。
肉体を満足させることで感じる幸せ、心と考えを満足させることで感じる幸せは全て一時的なものに過ぎず、時間が経てば、新たに嫌なことが生じたら、途端にその幸せは消えていきます。
人間に霊が存在しない、と仮定してみると、説明のつかないことが多くあります。
例えば、自分がやりたいことを思いっきりやったのにその後に急に虚しくなるあの現象です。
好きなものを食べて、友達と好きなことして、騒いだ後の帰り道に無性に虚しくなるアレです。
現在、物質的に豊かな世界で生きていながら、鬱になってしまったり、苦しくて自殺を選択する人がとても多い日本ですが、それは霊が満たされていないからそうなのです。
<霊=永遠な存在>
「霊」という存在を感じられるように、もう一つ別の観点で話してみます。
もう一つの例の特徴は「霊は永遠な存在だ」ということです。
「見えるもの、肉体、物質」はすべて一時的だと書いてあります。
好きなように食べて、飲んで、寝て、遊んでも、瞬間的な喜びであり、時間の経過とともにその喜びは終わってしまいます。
聖書には、物質的にものすごく大きな成功を果たしたソロモン王という王様がいます。
知恵の王とも呼ばれたソロモン王は富と栄華を極めましたが、最後の最後に悟ったことは何かというと「肉の儚さ」でした。
誰でも人間はいつかは死に至ります。どれだけ多くの財産を持っていても死んだら石ころ一つも死後の世界に持っていくことができません。
いずれ無になってしまう肉は「空の空、いっさいは空だ」。
すなわち、肉体だけのために生きる人生はいくらそこで成功したとしても、結局は虚しく終わってしまうということです。
「最後に虚しさを感じる人生になってしまうことがないように、創造主である神を恐れなさい。」と話しました。
これが富と栄華を極めた知恵の王ソロモンの言葉です。
人間は、霊という永遠な存在を持っているからこそ、肉だけが満たされても、真実な幸せを得ることができないのです。
物が下に落ちることを見て見えない重量を感じているように、
「肉や心を満たしてもどこか満たされている感じがしない。幸せを感じられない」と感じていることが
まさに「見えなくて永遠な霊の存在を認識していることだ」ということです。
霊は永遠な存在だ」という観点で、もう少し書いてみたいことがありますが、長くなってきたので今回は一旦ここまでとします。
理解が難しかったり、もっと詳しく説明してほしいという部分がありましたら、コメント欄にて質問していただけたらと嬉しいです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました^^
次回もお楽しみに!
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