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26.愛と許し①〜許しの心を持つこと〜

こんにちは^^
私のノートをご覧になってくださる方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございます。
皆さんのいいねやフォローが大きな励みとなっていますm(_ _)m!

ご無沙汰しておりました・・・m(_ _)m
心機一転、これからも頑張って更新していきます!

2024年が始まりすでに20日が経ちましたが、各自新年に決心したことは忘れずに継続しているでしょうか?
「続ける」ということは難しいことですが、
最後まで諦めずに、止まってしまったらまた再び始めればよいので、一緒に頑張っていきましょう!

ということで、私もnoteを改めて頑張っていきたいところですが、
昨年の後半は「聖書から学ぶ人間の本質」ということで、
さまざまな観点で、私たちが聖書を学ぶべき理由についての記事を書いてきました。

そしてこれからは一度流れを変えて、
神様・イエスキリストの「愛と許し」という観点で、
聖書の内容を皆さんに紹介できたらと思っています^^

では早速「愛と許し」シリーズの一つ目の内容です。


<神様の許しの懐の深さ>

今日は、マタイによる福音書18章21節から35節の聖書の一節を通じて、許しの大切さについてお話ししたいと思います。この聖句は、私たちに許しの力と意義についての素晴らしい教えを与えてくださっています。

マタイによる福音書18章21節〜22節
18:21そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
18:22イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

この話の最初ではこのようなやり取りがありました。
ペテロがイエスに質問をしました。
「イエス様、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか?」
するとイエスは驚くべき答えを与えました。
「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」と。

7を70倍!?
ということは、490回も許しなさいということですか?!
と驚くしかないでしょう。
このイエス様の言葉には深い意味が込められています。

では聖書の続きを見てみます。

<許しの神様>

マタイによる福音書18章23節〜27節
「18:23それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。
18:24決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
18:25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。
18:26そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
18:27僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。」

「天国は王が僕たちと決算をするようなものだ」とおっしゃりながら、1万タラントの負債を持つ僕が登場します。
1万タラントとは、現在の貨幣で換算すると約6千億円だそうです・・・!
しかしこの僕は借金を返せず、主人はその人自身とその家族、そして持ち物全部を売却するよう命じました。
僕は主人の要求を受け入れ哀願と、主人はあわれみ、負債をゆるしてくれました。
これは神様は非常に大きな愛で私たちのことを豊かに許してくださることを表現しています。

しかし、この物語はまだ続きます。

<許されることと許してあげること>

マタイによる福音書18章28節〜24節
「18:28その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
18:29そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。
18:30しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
18:31その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。
18:32そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
18:33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
18:34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。」

6千億円もの借金を許してもらった僕が、その後自分が百デナリを貸している仲間に出会いました。
百デナリは約100万円です。
少ない額とは言えませんが、自分が免除してもらった金額を考えると少額だと言えます。

そしてその僕が借金を返すよう要求しましたが、百デナリを返せないと言われ、
「必ず返すからもう少し待ってくれ。」と言われましたが、
相手のお願いを認めず、彼を獄に投げ込みました。

6千億円を許した主人はこの出来事を知り、怒りました。
そして主人は僕に言いました、
「わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか?」と。

<許した分、許してもらえる>

イエス様はこのような霊妙でわかりやすい例えを話されながら最後にこのようにおっしゃいました。

マタイによる福音書18章節35節
「18:35あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。」

この話は、私たちに許しの大切さを教えてくださいます。
神様が私たちに対してどれほど多くの罪を許し、あわれみを示してくださるかを考えると、
私たちも他人に対して同じく許しを持つべきだということです。

「許す」という行為は、「謝る」という行為と同様に、意外と難しいものだったりもします。
しかし、心の器を広げ、許しの心を持っている人は、怒りや復讐の感情を収め、心の癒しと平安をもたらします。
私たちは、神様・イエス様のように許しを示すことで、より豊かな精神的な生活を築くことができます。

<まとめ>

今日、私たちはマタイによる福音書のこの一節を通じて、許しの大切さについて学びました。
私たちが人生を豊かに生きるためには、地位や名誉、財産なども重要かもしれませんが、何よりも重要なのは心の平安です。
他人に対しても、七たびを七十倍するように、積極的に許しの心を持ってみましょう。
そうすれば、自分も多くを許されるようになり、愛を受けることができると思います。

では、最後にキリスト教福音宣教会の総裁、チョンミョンソク牧師の説教を一部紹介してこの記事を終わります。

「<天に向けてのすべての愛>は「ただ三位とイエス様への愛」です。その愛は「ただアガペ的霊の愛、精神の愛」です。
その愛をもって兄弟たちも愛しなさいということです。
その愛は慈しみと平和であり、互いに仲よくし大事にし助けることであり、許し犠牲になり忍耐し大切にし保護してあげることであり、地上で受けた恵みも忘れないことであり、まことの霊的な愛で兄弟を愛することであり、その愛で使命者のために祈ってあげることであり、真理の御言葉を守って生きることです。

先に許し、先に愛することで、皆さんの人生に「許しと愛」が溢れることを願います。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました^^

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