30.愛と許し⑤〜無限の許し〜
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今日は「愛と許し」シリーズ5つ目の内容です。
前回の記事では、「他人を判断せず、内省すること」というテーマの記事を書きました。
イエス・キリストの一つの説教を取り上げながら、他人を判断する前に自己内省が大切だという話をしました。
梁とちりのたとえが、自己認識の大切さを示しており、自己成長を通じて愛と許しの道が開かれていくと考えます。
他人を非難せず、まずは自分を改善し、寛容さを兼ね備えた人に自分を作っていきましょう。
<はじめに>
今日は「無限の許し」について話してみます。
これまでの記事の中で以下の聖句を紹介しました。
ここに書かれているように、
イエス・キリストは弟子たちに対し、何度も許してあげることについて話され、
実際にご自身は、自分を殺そうとしている人たちのことでさえ最後の最後まで許し、神様に許しを請いました。
<無限の許し>
私たちの生活の中で、人との関係性は避けて通れないものです。
しかし、その中で避けられないのが誤解や衝突などがあります。
お互い悪気がなくても意見の食い違いや誤解は発生してしまいます。
しかし、ここに一筋の光が差し込むルカによる福音書17章3~4節の言葉があります。
ここで「兄弟」とは、血縁関係に限らず、私たちの周りにいる人々を指します。
そして、この教えはただ単に許すことの重要性を説くだけではありません。
それは、人間関係の中で成長し、互いに高め合うための、深い知恵と慈愛を含んでいます。
まず、罪を犯した人を「いさめる」という行為は、単に非難することではありません。
相手の行動を真摯に受け止め、正しい道へと導くための、愛のある指摘です。
そして、その人がきちんと反省した際には、何度でも心から許す。
これは単なる寛容さではなく、相手に新たな可能性を信じ、再スタートを切るチャンスを与えることでもあります。
そして、この「許し」は、ただ忘れ去ることではありません。過去の傷を癒し、未来への架け橋を築くプロセスです。
許しを通じて、私たちは自らも解放され、相手も解放されます。
この循環こそが、人間関係の中での真の成長へとつながるということです。
しかし、実際には「七度も罪を犯す人を許し続ける」ことは、決して簡単なことではありません。
それでも、この教えが示すのは、許しは無限であり、私たちの心の広さ、そして愛の深さを試す機会であるということです。
<まとめ>
この教えから私たちが学ぶべきは、許しは単なる感情や一時的な決断にとどまらないということです。
それは、生き方そのもの、人との関わり方を根本から変える力を持っています。
許しを通じて、私たちは互いに尊重し合い、支え合い、ともに成長していくことができるのです。
ルカによる福音書17章3~4節の教えは、時には私たちの理解や忍耐を超えることを要求します。
しかし、その中には、人としての尊厳を守り、互いに調和をもたらす深い知恵があります。
私たち一人一人がこの教えを心に刻み、日々の生活に生かしていくこと。それが、私たちが目指すべき「愛と許し」の道だということです。
以上が、「無限の許し」についてのお話でした。
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今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!
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