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柳家小三治と私

最初は『天災』だった。

20 と数年前。まだボンクラ大学生だった頃。私は新装版の『宇宙家族カールビンソン』を皮切りに遅ればせながら あさりよしとお作品にハマっていた。パロディが多いこの漫画では落語を換骨奪胎した話も多かったので「一度落語をちゃんと聞いてみるか」と NHK の『日本の話芸』を録画し始め、2度目に録画したのが柳家小三治の『天災』だった。

笑った。滅多にないことだが腹を抱えて笑った。

『天災』は嫁と母に腹を立てた短気な男が、大家と心学の先生に諭されて堪忍と辛抱を学ぶという噺だ。立て板に水で理不尽な言いがかりを大家にまくしたてる男と、呆れながらもどうにかなだめようとするゆったりした大家のコントラスト。心学の先生にやんわりと考えを矯正されて徐々に威勢がトーンダウンしていく男の様子。それを適格に表現して見せる小三治さんの名調子に笑いすぎて息ができなくなったのを覚えている。

この後、何人もの噺家さんを録画し続けてきたが、空で真似ることができるほど何度も何度も繰り返し見たのはこの『天災』だけだった。

他の噺家さんと何が違うのだろうと考えたが何が違うも何も無い。ただ「柳家小三治だったから」なのだろう。静かに抑えてもよく通る声。短く刈り込んだ頭に四角い顔。気難しい顔をしていたと思ったらニカッと顔全体で笑う魅力的な表情。テンポ、間の取り方。全てまとめて柳家小三治だから好きなのだ。

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3年前の 2018年。松江で柳家小三治独演会があると知り、何かと行動の遅い自分には無いことにすぐさまチケットを確保した。この前年、小三治さんは自身がアルツハイマー病を患っていると発表していた。年齢を考えてもこれを逃せば万全の柳家小三治を観ることはできない。そう思えばこその即断だった。

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凄まじかった。客席は年配のお客さんが多いが小さな子供もそこそこいた。エンジンを温めるようにゆったりと演じた『長短』で調子を上げ、仲入りを挟んでの『青菜』。植木屋が上品で知性的なご隠居の言い回しに感心する噺で派手さは無いし、演じる人によっては笑いどころが分かりにくくなる噺でもある。

にも関わらず会場は割れんばかりに沸いた。とても子供向きではない噺だけど子供たちも声をあげて笑っていた。テレビのモニター越しでも人を充分に笑わせることができる噺家さんが生で演じるとどうなるか?会場の空気を読んで笑いをどんどん転がして青天井に会場のボルテージを上げることができるのだ。会場の全員が、初めて『天災』を観た時の私のようにのけぞって笑っていた。

2021年 10月 7日。柳家小三治、心不全のため都内の自宅で死去。81歳没。

同年の 3月に放送されたドキュメンタリーで見せた姿はずいぶんと疲労の色が濃かった。あちらではバイクに乗ったり音楽を聴いたりしてゆっくりと休んでいただきたい。きっとそのうち気が向いたら、不承不承な表情で長い枕をポツポツと話しだしてくれるだろう。その周りで仏も鬼も笑って噺を聞くのだろう。

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