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発信の向こう側

夜景が見渡せる高台で、コーヒーをひとりで啜っている。微糖のスティックコーヒーをマイボトルに入れたもの。味にこだわりはない。

高台の下では、スマホを見ながら歩いている人がぽつぽつ。目の前の世界よりも機械と接する人々。なんだか虚しく見えるが、おれが時代に遅れているのだろうか。

「あのさあ、最近ずっとスマホいじってるじゃん。会う意味あるこれ?」

この前健太に言った言葉が、ふと浮かぶ。ネットに疎いおれと、なんでも使いこなそうとする健太。時代に乗り遅れないことが、そんなに大事なのだろうか。

健太と会わなくなって半年になろうとしている。

* * *

幼馴染の健太とは、社会人になってからも数ヶ月に1回のペースで会ってきた。お茶や食事をして終わることもあるし、ショッピングモールを散策したり、高尾山に行ったこともある。

「店の外観を撮りたいから、ちょい待ち」

高円寺の街を散策中に「昼飯でも食うか」とランチスポットを探しているときのこと。気になったタイ料理店の前で、健太がそう言い出した。

今までは、カフェの料理を撮ったり景色を撮ったりしていたが、そうした行動やタイミングは会う度に増えていった。

モヤっとしている様子のおれを見て、健太が補足するように言う。

「外出したときは、できるだけコンテンツとして写真とか動画で投稿したいんだよ」
「TikTokってあるじゃん?あれいまは長めの動画もありで、写真撮ってスライドショーにもできるから、マジでなんでもコンテンツになるんよ」

水を得た魚のように、どどっと健太が返す。まるでおれを説得するかのように知識を浴びせてくる。

「ティックトックねえ。なにがおもしろいのか未だにわからんわ」

おれからすると「なんでもコンテンツになる」というのは、どこか空虚な言葉に聞こえる。目の前の現実よりもどこかの不特定多数の知らない人に、心が向かっているような。中身が抜けていき、鎧だけが強化されていくような。

* * *

そしてある日、沸点を超えそうになった。

その日はお互いの中間地点の駅で待ち合わせた。お茶をしたあと、健太が「本屋でもいく?好きっしょ?」と提案してくれた。

お店に入ると「SNS投稿OK!」の張り紙。全国展開している書店である。いまどきそこまで寛容なのか、それとも必死なのかとも思ったが、同時に嫌な予感もした。

店内で本を物色していると、横で健太の視線、いや、スマホのカメラを感じる。カシャ、という音が聞こえた。

「なに撮ってんだよ。先に言えって」
「ごめんごめん、いい?」
「いやいや、もう撮ってんじゃん」

健太が書店行きを提案してくれたのはうれしかったが、同時に「目的はこれだったのか」と思うと、本を物色する気分が消え去った。おれを被写体にしたのも初めてだった。

書店に来てまで撮影だなんて、おれには理解できなかった。それでも店内でケンカするわけにはいかず、気持ちを抑え、ぼそっと言葉を吐き出す。

「それ撮ってどうすんの?」

5秒ほどの沈黙を置いて、弁解するように健太が補足する。

「いやさ、海外の人向けに発信してるんだけどさ、日本の本屋の雰囲気を見せるのもいいかなあと思って」
「日本が好きな海外の人ってたくさんいるんだよ。ジャンルは特に絞らずにいろんな日本を見せるだけでもけっこう見てくれるんだ。まあ、同じようなことしてる人はたくさんいるけどね」

まただ。知識を浴びせてくる発言。そんなにそっちの世界がいいなら、ひとりで行けばいいじゃないか。一緒にいるときも抑えられないなら、会わないほうがお互い良いんじゃないか。

おれができたことは、その場で「あ、そうなんだ」と返すだけだった。

* * *

あれから何度か健太からの誘いはあったが、どうも会う気になれない。誘いがあるたびに返事を数日遅らせたり、「すまん、最近忙しくて」と苦し紛れの言い訳を返し、遠回しに断っていた。

「この前の書店での撮影さ、あれはさすがに」

ここまで打って、文章を消したこともある。はっきりと伝えることがいいのかもしれないが、つい溜め込んでしまう。そうして言えないまま、モヤモヤが積もっていき、半年が経過した。

* * *

夜11時に布団に入ったものの、なかなか寝付けない。ふとスマホで時間を確認すると「0:52」とある。健太とのことでのモヤモヤが脳内でぐるぐる回り、それは大きくなっていくようだった。

考えれば考えるほどストレスが大きくなっていき、喉のあたりに熱いシコリがあるような感覚になる。

どうあがいても寝れなさそうな状況の中、気晴らしを決める。深夜1時過ぎ、靴下を履き、ウインドブレーカーを羽織り、近所の公園に向かう。

* * *

夜の散歩は気持ちがいい。夜の匂いがする。さっきまで雨が降っていたようで、地面は湿っている。その湿りによって街の匂いが空気に染み出している。ちょっと外を散歩したくらいでモヤモヤが晴れるとは思わないが、なにもしないよりはマシだろう。

夜景、通り過ぎていく人、遠くで車が走る音。静寂とはいかないが、夜の音量ではある。しかし、モヤがかった心のフィルターによって、それらに現実感がない。見ている、聞こえている、匂いはする。だが、それらを感じてはいない自分がいる。

ブルッ

ぼーっとしていたら、スマホが震えた。アプリ自体をあまり入れていないから、おそらくはLINEだろうと想像がついた。

気づくと、右手がポケットに伸びていた。ネットに疎いおれでも人間だ。通知がきたら見たくなる。

「わかったよわかったよ。見ればいいんでしょ。ちくしょう」

舌打ちをするように心の中でつぶやき、行き着く先を見失っていた右手を動かし、スマホを顔の前に持ってくる。ロック画面がまぶしい。

「やっと貯まった。20万」

20万?なんのことだろう。よく見ると、送り先に「けんた」と表示されている。深呼吸をしながらロックを解除して返信する。

「20万?こんな遅くになんの話だよ」
「シンガポール行こうって前に話したじゃん」

一瞬、頭の中で「ん?」となったが、すぐに思い出す。確かに1年ほど前にそういう話はした。健太からの提案で「じゃあ、お互い20万貯めようぜ」ということになっていた。

「あーそういう話したねぇ。ってか20万どうやって貯めたん?」

「配信よ。TikTok。あれでいま月5万くらい入ってくるようになったんだよ。1年でなんとか貯まったぜ」

健太のこの言葉を聞いたとき、心のモヤが一点集中から薄く広がっていくのを感じた。そういうことだったのか。それならそうと言ってくれればよかったのに。

「どこ行ってもSNSだなんだでおれ正直イラッとしてたんだぞ。それ先に言えよ」
「ごめんごめん。貯まってから言いたいなと思ってて」

「いやいや不器用すぎるだろそれ」
「まあそうだよな。すまん笑」

その後30分ほど通話をして、スマホ越しに笑い合った。ぶつかる様子がない感情がすっと交換されるような、半年ぶりの混じり気のない笑いだった。おれも言えなかったし、健太も言えなかった。お互い不器用だ。

モヤが一気に晴れ、嬉しさと安堵が混じるなか、勢いでそのまま打つ。

「いま近所の公園にいるんだけど、来る?」
「いやいや、遠いわ」
「だよな」

「まあでもドラマとかだったら、ここで来てもらったほうがいいラストを迎えるぜ」
「いや、ドラマじゃないからこれ。何時だと思ってんだよ。ってか電車ないから笑」

深夜1時に公園でニヤニヤしながらLINEする自分を俯瞰する余裕はなく、その場の感情に任せてやり取りを続けた。

「おれらこういうのたまにあるよな」
「あるねー、まあおれらはそういう感じだろ。またなんか起こりそうだな笑」

目の前の夜景がどんどん輝いてきているように感じた。道ゆく人のスマホに空虚感を感じることもない。やっと正気を取り戻せたような気持ちだ。

目的を伝えてくれなかったことへのイラつきはあるが、お互い様だ。おれだって、いつも伝えるべきタイミングを誤る。ずっと健太に向かっていたイラつきが、形を変えて自分にも少しやさしくやってくる。

「健太ごめん、おれ貯まってないわ」

10秒足らずで、健太から返事がくる。

「早く貯めろよ。おれはがんばったぞ笑」

健太がTikTokをしていた目的は旅行貯金のみだったらしく、「もうネット発信はいいかな。疲れたわ」とその後のやり取りで明かした。

「教えようか?配信のやり方」
「いやいやおれは向いてないから。なんか違う方法探すわ」

「いつになったら貯まるんだよ。おれ20万の鍋とか買っちゃうぞ」
「やめい。ってか20万の鍋がどこに売ってんだよ笑」

「あるよ。世界は広いんだぞ」
「わかった貯めるから。鍋は買うな笑」

おれの貯金はというと、現状は5万に届かないくらいの状況だ。物価は上がるわで、節約したところで貯金できる額はたかが知れている。健太の言葉が脳内で繰り返される。いつになったら貯まるんだ。

降参するように、メッセージを打ちはじめる。

「わかったよ。その配信のやつ、来週にでも話を聞かせてくれ」


※「練習ちょー短編」シリーズは、練習がてら、ちょー短い物語を書いていくシリーズです。

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