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『カルメン』とは何だったのか?

今週、藤原歌劇団オペラ「カルメン」全3回公演が無事に終了しました。 
この舞台に立ち、感じたことを書いてみました。 

全員フェイスシールド着用
私は「歌手ならともかく、動きの激しい舞踊家が舞台でフェイスシールドって、あるはずがない…まず踊れないし…」などとたかをくくっていた。

 私たち踊り手の着用が決定したのは、本番の2日前。しかも舞台稽古がすべて終わってから。それをつけて練習ができるのは本番前日のみという結果に…。 マントン(大判のショール)を回したり、バタデコーラ(裾の長いドレス)の派手な足捌きをしたり、激しい回転がたくさんあったり。想像するだけでも骨が折れる。でも私のそんな気分には関係なく、フェイスシールドは迫ってきた。

 そして…
やれば、できるものだ。  

感染防止策で、3年前とは演出も大きく変わった。
オーケストラは舞台上に位置し、
合唱は後ろの一段高い雛壇に、
ソリスト・助演は前方の奥行きの浅いエリアに。
 以前は、第2幕酒場のシーンで、合唱団と派手に芝居をしたが全てナシ。そのかわりにパネルの中での閉塞感を表す演技を要求された。演出家のダメ出しを受けながら、舞踊団メンバーは日々試行錯誤を繰り返した。

その後、闘牛士のシーンにおける踊りも追加され、新たに振付をすることに。演出家 岩田先生に楽譜を読みながらの説明を受け、リクエストはその場では理解したつもりだった。が、帰宅後その振付を考えようとしたとき、そもそも酒場なのか?という疑問が浮かんだ。 前回の演出を完全にリセットすべきなのか、それをベースにすべきなのか確認していなかった。
今回そこで、自分たちがどういう立場で踊るのかという設定や、歌のソリストたちの動きや位置など肝心なことが何ひとつわかっていないことに気がついた。あらためて、演出助手に相談し、最終的には岩田先生に再度確認することに。

今回、無駄な時間を減らすため、振付の方向性の事前確認をためらいながらもお願いした。演出家に映像にて事前確認をしていただくことに。。。急いで、振付をし、舞踊団メンバーと数回稽古をして、映像にして送ったところ、およそOKのような、そうでもないような微妙なお返事をいただいた。「あとは、現場で見ましょう!」と。
きっと先生自身もお考え中だったのではないかと思った。

 実際の稽古をしていく中で、その振付には、前回の酒場に匹敵する賑やかな雰囲気を出すことに専心した。 

闘牛士を迎える人々 
闘牛士を称える仲間
闘牛士
闘牛場で観覧する人々
カルメン
牛 

 など1人で何役もできる振付を施した。楽しんで…

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 エスカミーリョのソロパートでは、歌う彼を中心に勝手に隊列を組んで一体感を出したり、カルメンと彼の間ギリギリの空間をマントンの大技で横切ったり、様々なチャレンジをしてみた。一箇所、歌を生かすために静的な動きをリクエストいただいた以外は、ほぼ自由にやらせてもらうことができた。

この振付では「あなたがカルメンなの?」と勘違いされるようなものに関してもOKだった。

むしろ、
「あなたがカルメンなの?もう1人のカルメン?カルメンは2人いるの?それはカルメンの魂なの?って思わせたっていいじゃないか!」という力強いお墨付きをいただき、のびのびと自分等の振りをすることができた。  

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そして、さらに第4幕冒頭にアラゴネーゼを新たに踊ることが決定。 

「マエストラの挨拶の後、すぐに登場してください。情熱的に出てきて!」という要求が。  

一か八かで、無音の中カスタネットを響かせながら、走り込んでみた。。。 (しばしの沈黙)
「はいOK!とにかく、これでやってみよう!」
 「・・・え〜〜〜!」
驚いた。やってみたものの
「幕が開いて、演奏の前にフツウ踊り手が音出しても大丈夫かな・・・?」と自問していたからだ。 決まってしまったので、とにかく華やかに情熱的にやり切るしかない。

 「マエストラのお辞儀が終わり、頭をあげるその瞬間に出てください」
 だんだん、要求が面白くなってきた。。。  

走り込むので、その前からスタンバイが必要。舞台スタッフのキュー待ちでは、とうてい出遅れるので、気が気ではない。 なんで、こんなことで緊張しないとならないのか。。。よく考えてみたら、そこで緊張すべきではないということに気づき、踊り自体をまっとうすることに集中した。

 「アラゴネーゼ」
オーケストラの最初の音で振り返る。

前置きがない冒頭の音なので、それは不可能に近いこと。それなのに、今回後ろ向きで板につけたので、マエストラの背中が私の目の前に。
彼女の呼吸を読んで、第一音で確実に観客に振り向く。。。

こんな絶好のチャンスは、そうそう訪れるものではない。
この新演出は何もかもがある意味ドラマチックなのに、この上ないシチュエーション(自然な)を神からの贈り物かと思った。

 アラゴネーゼは好評だった。頭にマンティージャというレースのショールをつけ、ザ・スペインを表現した。それはちょっとした重さがあり、その土台には大きな櫛飾りをつけ、フェイスシールドもつけ、もはやダースべーダーにしか思えなかった。それでも踊る。
ダースベーダーにもかかわらず、SF気分も程よく盛り込みながら、格好良く颯爽と登場するしかなかった。
「スペインを感じていただきたい!」一心で。

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その後、慌ただしく早替えでバタ・デ・コーラという衣装をつけ、4幕における私たちの最後の出番が待っていた。

そこでは、大合唱と紙吹雪の舞う中、闘牛士を迎える華やかなダンスを力一杯踊った。ダースベーダーが闘牛士を迎え、愛の歌をしっとりと踊りで固める。。。もはや、フェイスシールドのある滑稽さを自ら忘れるしか術はない。

最終日前に何人もの合唱の方より「いつも後ろから踊りを見てますよ」とメッセージをいただいた。

第4幕出番の前、舞台袖から演奏を見つめる。音楽はどんどん盛り上がり、合唱のパワーを引き出す指揮者の表情の変化と力強い指揮に心が震えた。そんな最高な状況のなか舞台に颯爽と出ていく。

エスカミーリョを迎える派手なダンスを踊る私は、次のしっとりしたカルメンとのシーンで、スローモーションをしながら、初めて合唱の方々が後方舞台の上から見守っていてくれるのに気がついた。よりによって最終日の最後の出番で気づいたのだ。

自分は、それまで精一杯で周りが全然見えていなかった。それでもみなさん見守ってくれていたんだ…。 もう合唱だけでも素晴らしいのに、彼らの想いを感じ胸がいっぱいになった。  

今回、コロナ禍のせいか、演出のせいか、自分の変化のせいかわからないが、音楽がよく聴こえた。 芸術に生産性なんて言葉は使ってはいけないような気もするが、制限された中で音楽の本質というか、ビゼーが見えてきたような気がした。
その音楽の素晴らしさを十分に感じることができた。

お客様からの「合唱団が奥にいて、迫力が伝わりにくい」などという感想も耳にした。けれども、私には、ソリストたちの声をすぐ間近に、オーケストラの音楽を同じ階で、そして合唱の声は頭上からシャワーのように降ってくるという絶好のポジションにいた。こんな幸せなことがあるのかと。


本番が近づくにつれ、絶対に感染してはならないという重圧のようなものをなんとなく感じつつ、息が詰まった。実生活だけでなく、舞台でも閉塞感を表現しなくてはならず、、、皮肉だと感じた。

 立ち稽古の初日に岩田先生が仰った。
「芸術のおかれている立場。体制に屈しないっていうのは、カルメンそのもの。どんなことがあっても私たちは屈しない。自分たちの芸術を絶やさないっていうその気持ちを失わずに、我われの新しい『カルメン』をつくっていきましょう!」(このようなお話の内容だった)

コロナ対策のパーテーションを演出に取り込み、3月以降日本でオーケストラと合唱を配置した本格的オペラ復活の先陣を切った藤原歌劇団。この舞台に携われたことは、私の中で大変誇らしいことでした。

 思い返せば、稽古の最初の頃。
指揮のテンポを確認するため、わずか10分の貴重な休憩時間にピアノ音楽を録音させていただいていたら、折江総監督がやってきて、自らそのパートを全部歌ってくださいました。

 多くのキャスト・スタッフ・関係者を抱え
「歌い手が歌わなかったら、日本のオペラが消えてしまうのです…」と熱いメッセージをみなに投げかけてくださった。
そこから何かが動き出したのを感じました。 
ヒトの心がゴロンと音をたてて動き出す瞬間のような…

 今回、岩田先生、折江総監督とご一緒し、私自身も演出家として、監督として自分のフラメンコをまとめる立場として、大きな大きな学びを得ることができました。 コロナ禍、人の生き方がますます多様化し、歩んでいくことだけでも精一杯な中で、この舞台の機会を与えられたことに感謝しつつ、今後フラメンコの世界に何かをもたらすことができればと考えています。 

 Viva la Vida!

「カルメン」という舞台作品については、またあらためて書きたいと思います。。。

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