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「あたりまえが大きく変わる・・・」

コロナウイルスによる自粛で、社会が大きく変わりつつあります。
今やスマートフォンが当たり前になったように、様々なことが変わる。人類はおかしな方向に進んで(?)いる。

未知のウイルスによる脅威は今後も続くことでしょう。
それにより、人びとが実際に触れ合うことも少なくなるのか…。

私は、よく他の人から「あ、近い、近いよ〜〜!」とか「近すぎっ!」と注意を受けることがあります。人との距離感がどうも若干近いようなのです。これまで「近いことは良いこと!」と全く疑ったことがありませんでしたが、これからはその感覚はNGです。
もっと気をつけないと…。

握手やハグはもちろんのこと、ハイタッチや、鬼ごっこ(笑)さえ接触系のものは文化として消えていくのでしょうか…。


遠くて近い、近くて遠いもの

私はいま、過去の公演作品を映像作家と共にまとめる作業をやっています。

2009年より始めた自身のカンパニー公演。とにもかくにも毎年新作を発表し、狂ったように駆け抜けてきました。途中いろいろありました。

どこに向かっているのか分からなくなったり、
共演アーティストとぶつかったり、
時には予期せぬ事態をうまく躱(かわ)したり躱せなかったり、
仲間と不意の喜びを分かち合ったり…。

本当にいろんなことがありました。
思い起こせばキリがないですが、それを振り返って来なかった。

いまようやく過去の映像をじっくりと見つめています。
そこには紛れもなくその時の自分がいます。
その画面の大きさにぴったりの未熟なりにも必死な自分。

カンパニーの代表であり、芸術監督、主演を務める身として、つねに自分を戒めてきたつもりだったけれども…。

踊りや選択に、自分自身の隠された言い訳を感じる。それも自分にしかわからない言い訳の数々。今更ながら苦笑です。

もっと早く振り返っていたら、もっと成長できていたはずなのに…とか、もっと良い作品になっていたのに…
などと思いがちなのですが、果たしてそうか?
それをやれるようだったら、やっていたはず。
やれなかったのには、必ず理由がある。

忙しいから振り返れなかったわけではなく、振り返りたくなかったから、忙しくしていたのかもしれません。
とにかく、突っ走りたかったのかもしれません。
爆走したかったのかもしれません。

ですが、ずっと見ているうちに、一番嫌っていたはずのその未熟で、不完全な姿に面白味を感じるようになってきました。

舞台には、全てがあらわれるとはこのことだ。

そして、観客には、実際の舞台を観てもらいたい。


ですが、当たり前が大きく変わるこんな時代ですから、

舞台映像を少しずつご紹介し、作品自体を知ってもらい、そのうえで新たに観にきていただきたい。そして、自分も新しい形・やり方で舞台を作っていければと考えています。

こういう事態になってみて、心の底から自分の仕事を愛していることを感じています。

『フラメンコの舞台を創ること』

書いてみても、夢のような字面。
それが自分の仕事になるなんて、子どものころは考えもしませんでした。

これからは、今想像ができない事が起こることも大いにあるでしょう。

映像の中で見つけた『遠い』過去の自分との距離感。『近い』どころか自分の考えの殻にとじこもりがちだったこと。
ようやく冷静にそれを見つめ、向き合えた。
自分に欠けていたものを埋めていく喜びを感じとれる。

ひとつひとつずつ。

はやく、舞台づくりがしたい・・・。


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