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【百年ニュース】1920(大正9)7月2日(金)シベリア・ザバイカル州からの撤兵を再度閣議決定。駐兵長期化で日露両軍の再衝突を懸念(4月上旬ウラジオストクで発生)。 参謀本部は撤兵に反対だが田中義一陸相が押し切った。田中陸相「日本の方針としては撤兵の一途あるのみ」

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「閣議(官邸)、明日の両院において演説すべき案につき外相より相談し、余および蔵相もその草案につき過日の分多少修正の旨報告し、また田中陸相よりも事実の説明をなすべくその案を相談せり。外交調査会員元田(肇)辞任し大岡育造を登用することとなせり。この閣議において田中陸相配兵および費用の点につき説明し、サガレン(樺太)地方については人員4,000人ばかりを出すべく、再渡費、維持費等は今回シベリアより撤兵して減じたる費額にて足るべきつもりなり。またチタ方面の第五師団は全部日本に帰還せしむべく、而してさらに一部他師団より交代として浦塩に送るべく総数においては多少の減員となるべき見込みなりと云えり。要するに今期議会に追加予算提出に及ばざる計画なり。(原敬日記7/2)」

「貴族院および衆議院において例の通り施政大体の方針につき説明したり。外相陸相は余とともに貴族院において説明し、衆議院においてはこれに高橋蔵相加われり。質問ありたるも左までのことなし。(同7/3)」

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シベリア白地図

原敬5

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