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【信玄、駿河から撤兵】1569年4月24日

1か月前

日本の命運のかかった重要文書作成の一端を「支那事変の和平をつぶし、日中両国を疲弊させ革命を起こす」ことを目論んでいた人物が担っていたのである。

【百年ニュース】1920(大正9)6月11日(金)中国への山東権益返還問題につき日本政府が回答を閣議決定。実質的な直接交渉の打切り容認で中国側の意図に沿うもの。直前の外交調査会では枢密顧問官牧野伸顕(前年パリ講和会議参加)より鉄道沿線からの即時撤兵案も出るが保留。

【百年ニュース】1920(大正9)7月2日(金)シベリア・ザバイカル州からの撤兵を再度閣議決定。駐兵長期化で日露両軍の再衝突を懸念(4月上旬ウラジオストクで発生)。 参謀本部は撤兵に反対だが田中義一陸相が押し切った。田中陸相「日本の方針としては撤兵の一途あるのみ」