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【Voicy】#キュンとする瞬間 100年前も今も人間は変わらない。(2021.12.14放送)

こんにちは、吉塚康一です。私は会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。本日はVoicy編集部が募集中の「#キュンとする瞬間」というテーマで放送を収録してみたいと思います。タイトルは「100年前も今も人間は変わらない。」です。よろしければ最後までお付き合いをお願いします。

さて「#キュンとする瞬間」というトピックです。私は今年50歳になります。50歳のおじさんがキュンとする瞬間、というのは、どう考えても気持ちが悪いわけです。誰も聞きたくない類の話です。しかし「キュンとする」の意味を、心が動かされる瞬間、と捉えると、それなりに話してみたいことがあります。

冒頭でもご紹介した通り、私は百年前についていろいろと調べていまして、百年前の資史料を目にすることが多いです。例えば公文書であったり、新聞記事であったり、また書籍・出版物であったり、主に文章を読むことが多いです。百年前ともなると、日記や手紙など、プライベートなものも含めて数多くの資料が公開されており、同時代に生きた人間、つまり大正時代を生きた人々では知り得なかった、様々な真実を詳細に知ることが出来、また正しく分析することが出来ます。

令和を生きる我々も同じです。現在発生している多くの真実を知りません。情報がないので正しく分析することも出来ません。重要な外交文書をみることはできませんし、岸田文雄首相が今晩書くであろう日記を読むことが出来ないわけです。しかし100年前であれば原敬首相の日記は公刊されていますし、続く高橋是清首相に関しても回想録はありますし、手紙などの関係文書を国会図書館で閲覧することも可能です。

プライベートな史料など人間を深く知るための手がかりが多いのが歴史の面白いところです。そこでよく感じることは、人間は百年前も現在も変わらないなということです。もちろん時代背景が違うので、全く同じではないのですが、基本的な考え方は変わりません。人間は進化していない、とも言えますし、どんな時代にあっても人間は全力を尽くして同じように生きている、とも言えます。

そのように思う瞬間、つまり「人間は100年前も今も変わらない、現代に引き付けて考えてみても、ああ人間は同じなんだ」と思えるとき、あるいは「ああ人間というのはそのようなものなのか、きっと現在でも同じに違いない」と発見したとき、それが私の「キュンとする瞬間」だと思います。

ということで、本日は「#キュンとする瞬間」「100年前も今も人間は変わらない。」というタイトルでお送りいたしました。もしご参考になったのであれば大変嬉しいです。そして是非是非フォローを宜しくお願い致します。以上「100年ニュース」「毎日が100周年」吉塚康一でした。ご機嫌よう。


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