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【百年ニュース】1921(大正10)10月6日(木) 大韓帝国最後の皇太子李垠と(梨本宮)方子の長男李晋(イ・ジン)が初参内。生後50日。大正天皇,貞明皇后より玩具を下賜される。翌年5月李晋は訪問先の朝鮮京城府で消化不良により急死。生後0歳での急逝に当時は毒殺説も唱えられた。

大韓帝国最後の皇太子李垠り ぎん(イ・ウン)と方子まさこ女王の長男李晋り しん(イ・ジン)が初めて皇居に参内しました。生後50日目でした。10時30分賢所かしこどころに伺侯し、次いで皇霊殿、神殿と宮中三殿を参拝したあと、御内儀で大正天皇と貞明皇后に謁見し、お祝いとして玩具を下賜され、11時過ぎに退出しました。

李垠り ぎんは1897(光武元)年10月20日に李朝第26代国王(初代大韓皇帝)高宗こうそうの第七皇子として誕生し、1907年に第2代大韓帝国皇帝純宗じゅんそう李坧り たく(イ・チョク)が即位すると10歳で皇太子となりました。翌1908(明治41)年に伊藤博文ら日本政府の招きにより学習院に入学しました。

1910(明治43)年の日韓併合により大韓帝国が滅亡しますが、李坧り たくは李王を名乗り引き続き京城府の昌徳宮に居住しました。また李朝の皇族は日本の皇族に準ずることとなり、李朝最後の皇太子であった李垠り ぎんは李王世子と名乗り、1911(明治44)年に陸軍幼年学校に編入し軍人の道を歩みました。

1920(大正9)年4月に梨本宮守正王もりまさおうと同妃伊都子いつこ夫妻の第1女子である方子まさこ女王と結婚し、翌1920(大正10)年8月11日に待望の第一子である長男李晋り しんが誕生しました。「日鮮融合」の象徴として注目され、マスコミもその去就を報道しました。

誕生直後は母の方子まさこ女王が自ら母乳を与えていましたが、乳母の選定が進められ、1921(大正10)年11月24日に上京して検査に合格した水戸市在住の綿引喜代子(24)が選ばれました。

しかし翌1922(大正11)年4月に李王世子夫妻が生後8か月の李晋を連れ朝鮮を訪問、釜山港から京城府に入り、約2週間の旅程を終えて帰国する直前の5月8日夜の別離晩餐会の途中、李晋の容態が急変します。急性消化不良によるものでした。一行に随行した侍医の小山善医師のほか、総督府からも志賀潔医院長なども呼び寄せて応急処置が施されたが、3日後の5月11日15時12分、生後わずか8カ月で李晋は生涯を終えました。

李晋の死の直後から日本国内では朝鮮独立派による毒殺説など、根拠のない陰謀説が盛んに唱えられました。翌1923(大正12)年9月1日には関東大震災が発生しますが、震災直後の朝鮮人暴動発生の流言に見られるような、日本人の朝鮮人に対する恐怖感・不安感はすでにかなり強固なものがあったと言えるでしょう。

李晋の祖母,梨本宮伊都子の日記より

1921(大正10)年8月18日
 午前2時、王世子邸より電話にて、いよいよ妃殿下お催しとのことゆえ、ただちに支度しており、出かけんとするところへまたまた電話にて、2時35分ご分娩。御男子ご誕生とのことに、おおよろこび。そのまま王世子邸へ、いつ子は行く。ちょうど、御後産のころにて、いろいろお始末済むまで殿下と御書斎にお待ちしてあと、御児(やや)様見に行く。かわゆらしきご様子なり。

1922(大正11)年4月18日
 いつ子は王世子邸へ赴く。方子少々風邪にて床にいる。しかし熱も平熱になり大したことなし。晋さま元気にて午後まで遊び4時頃帰る。

1922(大正11)年5月9日
 晋さまご発熱のため、ご出発延期の旨申し来る。ただちにお見舞い電信を発す。お病気は消化不良のよしにて、今日午後は大分お宜しき由。

1922(大正11)年5月10日
 晋殿下、その後の容体はあまり面白からざれども、体温も38℃前後にして、昨日より今朝は便通も黄にて少々粘液を混ずるくらいなれども、何も召し上がらざるゆえ、少しお疲れの模様ありとのことなり。朝の体温は36.7℃なり。

1922(大正11)年5月11日
 多くの電報着し居て、晋殿下の容体、今朝来衰弱加わり、38.9℃、脈50、呼吸70にて重体とのこと。食塩の注射もせしよしなれども思わしからず。以上11時発。午後2時発の6時頃着、容体危篤に落入りたりとのこと。次に午後3時12分薨去せられたりとのこと着電。実に実に口惜しいやら情けないやら、とても筆にも尽くしがたく何という痛ましきことならん。アー。

1922(大正11)年5月12日
 悲しき一夜は明けて、朝よりいろいろの人々悔やみに参られ、人に逢うたびごとに、いろいろ思い出し、悲しきことのみなり。

小田部雄次『梨本宮伊都子妃の日記 皇族妃の見た明治・大正・昭和』小学館文庫(2008)

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