見出し画像

【百年ニュース】1921(大正10)9月30日(金) 女優デボラ・カーがスコットランドのグラスゴーで誕生。幼少からバレエダンサーとして教育を受け,ロンドンで舞台女優となり成功。のち多くの映画に出演した。『王様と私』(1956)でゴールデングローブ賞女優賞。晩年はパーキンソン病を患った。2007没,享年86。

女優のデボラ・カー(Deborah Kerr)がスコットランドのグラスゴーで誕生しました。本名はデボラ・ジェーン・カートリマー(Deborah Jane Kerr-Trimmer)です。

画像1

父親のアーサー・チャールズ・カートリマーは軍人で、第一次世界大戦の激戦地ソンムの戦いに大尉として従軍し片足を失いました。アーサーは退役後に土木技師となり、1919年に28歳で同い年のキャスリーン・ローズと結婚しました。デボラには弟のエドマンドがいますが、彼はのちジャーナリストとなります。

デボラはブリストルのノーサンバーランド・ハウス・スクールなどで学び、幼少の頃からバレエダンサーとして訓練を受けました。1938年に17歳でサドラーズ・ウェルズのバレエの舞台に初めて立ちましたが、ラリー・カスバート・ヒックスが経営するブリストルの演劇学校で演技指導を受けると、ロンドンで舞台女優となり成功を収めます。

デボラの初舞台は、1937年のウェストン・スーパー・メアでのパントマイム劇『ハーレクイン』です。ハーレクインとコロンバインの二役で出演しました。のち改めてサドラーズ・ウェルズ・バレエ学校に通い、1938年にはプロメテウスのバレエ団に入団、ロンドンのリージェンツパーク野外劇場でのシェイクスピア作品に参加したあと、1940年にはオックスフォードに移り『マーガレット』『パティ・モス』などを演じ注目を集めました。

デボラの最初の映画の役は米国映画『コントラバンド』(1940)でしたが、最終的に彼女のシーンはカットされました。翌1941年には、ガブリエル・パスカル監督『バーバラ少佐』の助演女優として重要な役割を果たしました。

そして同1941年ジョン・バクスター監督の『愛と失業手当(Love on the Dole)』 で主役を演じて英国で知られるようになりました。英国で多くの作品に出演したあと、1947年にMGMと契約しハリウッドに移住。イギリス訛りの英語と洗練された立ち居振る舞いが米国人の心を捉え、多くのヒット作品を生み出すこととなりました。

ハリウッド映画では『王様と私(The King and I)』(1956)でゴールデングローブ賞女優賞。ほかにも『めぐり逢い(An Affair to Remember)』(1957)、『悲しみよこんにちは(Bonjour tristesse)』(1958)、『キング・ソロモン(King Solomon's Mines)』(1950)、『黒水仙(Black Narcissus)』(1947)など多くの作品に出演しました。

画像2

私生活では1960年7月23日に作家のピーター・ヴィアテルと結婚。晩年はパーキンソン病を患い、2007年10月16日にイギリスのサフォーク郡ボッテスデールで亡くなりました。享年は86歳でした。そしてデボラの死から3週間も経たない11月4日、夫のピーター・ヴィアテルも癌で亡くなりました。

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7



よろしければサポートをお願いします。100円、500円、1,000円、任意のなかからお選び頂けます。いただいたお金は全額、100年前の研究のための書籍購入に使わせていただきます。サポートはnoteにユーザー登録していない方でも可能です。ありがとうございます。