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【百年ニュース】1920(大正9)7月14日(水)富士瓦斯紡績押上工場でストライキ。前年9月工場長が渡辺徹から佐々山寛一に交代。労務管理方法変更に職工不満。6月28日田村勝造,赤石春吉の2名が工場長宛脅迫状(焼き討ち)で解雇。7月13日佐藤吉徳,柴山玉吉,大橋平吉3名が義捐金募集で解雇。ストに発展。

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工場長の佐々山寛一は新劇運動の島村抱月(本名佐々山瀧太郎)実弟。佐々山は友愛会本所支部(労働組合)が14歳,15歳の未成年女工から80銭の義捐金を集めたことを問題視(女工両親からの保護委託)。一方で交渉を一任された友愛会本部はこれを「団結権」の否認と捉え、日本初の団結権承認要求ストとなった。

翌年押上工場を調査した協調会の桂皋の報告では、通勤女工の全部,寄宿女工の大部分が友愛会員(組合員)だが、多くは労働組合の意義をよく理解しておらず、入会しないことによる迫害を恐れたり、会員の守衛が会員の寄宿女工の外出を黙認したり、飲食の仕出しを容認することが主な入会理由だったという。

友愛会本部は具体的労働条件の改善要求よりも団結権承認を優先させ、世論を巻き込んでの争議高揚に努めた。富士紡社長和田豊治も理事を務める協調会に「公開状」を提出。押上工場職工の不満や思惑から離れ、資本家や内務省主体の協調会を相手に引き出し国家レベルでの労使問題とする争議戦術を取った。

渋沢栄一

和田豊治

鈴木文治3

島村抱月


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