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【百年ニュース】1921(大正10)7月23日(土) 中国共産党第1回大会が上海フランス租界で開かれる。中国側は13名が参加。同席したコミンテルン代表はマーリンとニコリスキーの2名。望志路106号の李書城(李漢俊の兄)の自宅にて。党員57名。委員長に陳独秀(広州におり不在)を選出。

中国共産党第1回大会が上海フランス租界で開かれました。場所は望志路106号の李書城りしょうじょうの自宅でした。李書城りしょうじょうは孫文に親しく、1904年の中国同盟会の立ち上げの発起人のひとりでもあります。

その李には弟がおりまして、名前は李漢俊りかんしゅんあるいは李人傑りじんけつとも呼ばれていましたが、こちらの弟のほうは、芥川龍之介の中国訪問記であります「上海游記」に登場することで知られています。しかも芥川が中国を訪問していたのは、この年、ちょうど100年前の1921年(大正10年)の5月から7月ですので、李人傑(李漢俊)が面談したのは、この中国共産党第一回大会の前月6月か、あるいは同じ7月の上旬だったかも知れません。

そして面談した場所は、共産党第一回大会が開かれた、この兄の李書城の邸宅です。たいへんな偶然であると言えます。李人傑は東京帝国大学(現在の東京大学)の出身ですので、非常に流暢な日本語を話すことが出来ますので、芥川との会談にも語学的な問題は全くありませんでした。

中国側は13名が参加。同席したコミンテルン代表はマーリンとニコリスキーの2名。当時の党員は57名といわれておりまして、委員長には広州におり不在でした陳独秀を選出しました。

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