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【百年ニュース】1921(大正10)9月29日(木) 理化学研究所の新所長に大河内正敏が内定。東大総長山川健次郎の推薦。理研は大河内のもと急速に発展し研究成果の事業化が相次いだ。76の企業が興り理研グループを形成,新興財閥の一角にまで成長させた。戦後A級戦犯指名も不起訴。1952(昭和27)没,享年73。

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理化学研究所の新しい所長に大河内正敏が内定しました。東大総長であった山川健次郎や財界の大物渋沢栄一が推薦したものです。

9月29日 大河内正敏来訪、渋澤等の勧誘により理化学研究所長たることを諾すべき旨物語りたるにより、余も切に勧誘したり。同人は理化学の効果を現すべきつもりにて、大いに努力する決心なり。

原奎一郎編『原敬日記 第五巻 首相時代』福村出版,1981年,453頁

その後の理研は大河内のもと急速に発展し、研究成果の事業化が相次ぎました。理研の研究を基盤に76の傘下企業が興され、それらで理研グループを形成し、新興財閥の一角にまで成長させました。大河内正敏は戦後A級戦犯に指名されましたが結局不起訴となり、1952(昭和27)年に享年73歳で死去しました。

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大河内正敏

なお女優の河内桃子は理研グループ会長大河内正敏の孫になります。本名は大河内桃子。1932(昭和7)年に正敏の次男で画家の大河内信敬の娘として誕生し、1953(昭和28)年に東宝ニューフェイス6期生としてデビュー。翌年の出演5作目『ゴジラ』ではヒロインの山根恵美子を演じて人気を博しました。

本多猪四郎監督の『ゴジラ』(東宝,1954)の特殊技術は円谷英二が手がけました。河内桃子が演じるヒロイン山根恵美子(22)の設定は、古生物学者で元北京大学教授の山根恭平の娘で、大戸島の調査で父である博士の助手を務めており、恋人である尾形秀人とともに島の八幡山の尾根で、頭をもたげ咆哮するゴジラと遭遇する役どころです。

また河内桃子は、NHKラジオ番組『心のともしび』の初代ナレーターであり、1964(昭和39)年から1998(平成10)年まで34年間にわたり朗読を担当しことで知られます。「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」のナレーションを御記憶の方も多いと思います。

また河内桃子はTBS系ホームドラマに多数出演しお茶の間でおなじみの顔となりました。1998(平成10)年に死去、享年は66歳でした。

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