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【百年ニュース】1921(大正10)6月30日(木) この頃上海在住の李書城に対し,弟の李漢俊から第1回共産党大会のため邸宅の貸出依頼があった。李書城は日本留学組の革命派軍人。嘉納治五郎創立の弘文学院(牛込西五軒町)で魯迅や黄興と同学だった。東京で孫文と出会い1904中国同盟会発起人の一人となった。

この頃上海に住んでいた政治家の李書城に対し、弟の李漢俊から第1回共産党大会のため邸宅の貸し出して欲しいとの依頼がありました。李書城は日本への留学経験もある革命派軍人で、嘉納治五郎創立の弘文学院(牛込西五軒町)で魯迅や黄興と同学であった人物です。東京で孫文と出会い1904年には中国同盟会発起人の一人となったことで、当時も孫文と近い距離にありました。

ちょうど同じころ、作家の芥川龍之介は上海を訪問しています。1921(大正10)年3月28日~7月17日まで中国各地を訪問し、のち『上海游記』『江南游記』として紀行文を新聞紙上発表しました。上海ではこの李漢俊(李人傑)とも会っています。面談した場所はまさに、7月23日から第1回中国共産党大会が開かれることになっていた李書城の邸宅でありました。李漢俊(李人傑)に対し芥川は強い印象を持ちました。

18 李人傑氏

「村田君と共に李人傑氏を訪う。李氏は年いまだ二十八歳,信条よりすれば社会主義者,上海に於ける『若き支那』を代表すべき一人なり。途上電車の窓より,青々たる街路の樹,既に夏を迎えたるを見る。天陰,稀に日色あり。風吹けども塵を揚げず。」

これは李氏を訪ねた後,書き留めて置いた手控えである。今手帳をあけて見ると,走り書きにした鉛筆の字が,消えかかったのも少くない。文章は勿論蕪雑である。が,当時の心もちは,或はその蕪雑な所に,反ってはっきり出ているかも知れない。

「僮あり,ただちに予等を引いて応接室に到る。長方形の卓一,洋風の椅子二三,卓上に盤あり。陶製の果物を盛る。この梨,この葡萄,この林檎,――この拙き自然の摸倣以外に,ひとつも目を慰むべき装飾なし。然れども室に塵埃を見ず。簡素の気に満てるは愉快なり。」

「数分の後,李人傑氏来る。氏は小づくりの青年なり。やや長き髪。細面。血色は余り宜しからず。才気ある眼。小さき手。態度はる真摯なり。その真摯は同時に又,鋭敏なる神経を想察せしむ。刹那の印象は悪しからず。あたかも細く且つ強靭なる時計のゼンマイに触れしが如し。卓を隔てて予と相対す。氏は鼠色の大掛児を着たり。」

李氏は東京の大学にいたから,日本語は流暢を極めている。殊に面倒な理窟なども,はっきり相手に会得させる事は,私の日本語より上かも知れない。それから手控えには書いてないが,我々の通った応接室は,二階の梯子が部屋の隅へ,じかに根を下した構造だった。その為に梯子を下って来ると,まず御客には足が見える。李人傑氏の姿にしても,まっさきに見たのは支那靴だった。私はまだ李氏以外に,如何なる天下の名士といえども,足からさきへ相見した事はない。

「李氏云う。現代の支那を如何にすべきか?この問題を解決するものは,共和にあらずに復辟あらず。這般の政治革命が,支那の改造に無力なるは,過去既に之を証し,現在また之を証す。然らば吾人の努力すべきは,社会革命の一途あるのみと。

こは文化運動を宣伝する『若き支那』の思想家が,いずれも呼号する主張なり。李氏又云う。社会革命をもたらさんとせば,プロパガンダに依らざるべからず。この故に吾人は著述するなり。かつ覚醒せる支那の士人は,新しき智識に冷淡ならず。否,智識に餓えつつあり。然れどもこの餓を充すべき書籍雑誌に乏しきを如何。

予は君に断言す。刻下の急務は著述にありと。或は李氏の言の如くならん。現代の支那には民意なし。民意なくんば革命生ぜず。いわんやその成功をや。李氏又云う。種子は手にあり。唯万里の荒蕪,或は力の及ばざらんをおそる。吾人の肉体,この労に堪うるや否や,憂いなきを得ざる所以なりと。

言いおわって眉をひそむ。予は李氏に同情したり。李氏又云う。近時注目すべきものは,支那銀行団の勢力なり。その背後の勢力は間わず,北京政府が支那銀行団に,左右せられんとする傾向あるは,打消し難き事実なるべし。

こは必しも悲しむべきにあらず。何となれば吾人の敵は――吾人の砲火を集中すべき的は,一銀行団に定まればなりと。予云う。予は支那の芸術に失望したり。予が眼に入れる小説絵画,共に未だ談ずるに足らず。然れども支那の現状を見れば,この土に芸術の興隆を期する,期するのむしろ誤れるに似たり。君に問う,プロパガンダの手段以外に,芸術を顧慮する余裕ありやと。李氏云う。無きに近しと。」

私の手控えはこれだけである。が,李氏の話しぶりは,如何にもきびきびしたものだった。一緒に行った村田君が,「あの男は頭が好かもんなあ。」と感歎したのも不思議じゃない。

のみならず李氏は留学中,一二私の小説を読んだとか何とか云う事だった。これも確に李氏に対する好意を増したのに相違ない。私のような君子人でも,小説家などと云うものは,この位虚栄を求める心が,旺盛に出来上っているものである。

芥川龍之介『上海游記』(青空文庫)

李書城

李漢俊

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