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【百年ニュース】1921(大正10)6月25日(土) 「浅草の会」発足。浅草の娯楽,特に活動映画の関係者と文部省の教育関係者が交わる異色の会。同年2月公開の外国映画『ヘレン・ケラー』が文部省推薦映画第1号。文部省学務局社会課長の乗杉嘉壽が主導し,活動映画を青少年の教育に活用する試みが推進される。

文部省学務局社会課長の乗杉嘉壽が主導し、活動写真(映画)の青少年教育への応用を検討する「浅草の会」が発足しました。当時の浅草の娯楽の中心地であり、特に日本の活動映画に関しては圧倒的な影響力を持っていました。この「浅草の会」はそれら活動映画の関係者と文部省の教育関係者が交わる異色の会となりました。ちょうど同年の2月に日本で公開された外国映画『ヘレン・ケラー』は文部省推薦映画第1号となりました。活動映画をどのように青少年への教育に活用するのか、様々な試みが推進されることとなりました。

「活動写真によって多くの少年が犯罪を犯したとすれば,それほど活動写真なるものが大きな力を持っているということを認めなければならない。しからばこれを逆に使って有益なるフィルムを見せたならば,少年青年はその本質的にもっている感化力によって善導せられることは論を待たない。」
映画監督・山根幹人の1921(大正10)年の弁

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乗杉嘉壽

戦後になると浅草以外にも多くの映画館が出来、浅草が映画(活動写真)の代名詞だった時代は過ぎ去りました。しかし浅草の劇場は依然として多く芸人を吸収し、猥雑な雰囲気と独特な人情を持つ娯楽の街として生き残りました。

中田和昭『写真で歩く浅草の昭和―残像の人情時代』彩流社,2009


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