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【百年ニュース】1921(大正10)9月11日(日) 英国海軍軍人で貴族のルイス・アレグザンダー・マウントバッテン(Prince Louis)が死去,享年67。ドイツのヘッセン大公家傍系の出身だが英国海軍に入隊。1912年英国制服軍人最高位である第一海軍卿に就任した。エリザベス2世の夫エディンバラ公フィリップは孫。

英国海軍軍人で貴族のルイス・アレグザンダー・マウントバッテンが死去しました。享年は67歳でした。英国では一般に「Prince Louis」と呼ばれていました。ルイス・アレグザンダーはドイツのヘッセン大公家の傍系にあたるバッテンベルク家の長男として、1854年5月24日、オーストリアの第2の都市グラーツで生まれました。幼年期はドイツのヘッセン州にあるハイリゲンベルク城で育ちました。

欧州の王族や貴族は複雑な婚姻関係で相互に親戚関係で繋がっていることで知られていますが、バッテンベルク家も同様でした。ルイス・アレグザンダーのいとこであり義父となるヘッセン大公世子ルートヴィヒ4世の妃が、英国のヴィクトリア女王およびアルバート公の次女アリス・モード・メアリー(ヘッセン大公妃アリス)であったことから、英国に渡ることとなりました。

14歳でイギリス海軍に入隊、当時皇太子だったエドワード、のちの英国王エドワード7世と懇意となり、英国海軍内で出世を遂げることとなりました。1912年には英国軍人の制服組最高位である「第一海軍卿(First Sea Lord)」に就任しました。島国である英国では「海主陸従」思想、すなわち、海軍が主人で陸軍は従者であるという考え方に基づき、第一海軍卿は武官の最高ポストとされました。

1914年8月4日、第一次世界大戦にあたり英国がドイツに宣戦布告すると、ルイス・アレグザンダーは自身がドイツ貴族の出身であることから厳しい立場に置かれることになりました。海軍を退役してワイト島の自宅に引きこもり、1917年にはバッテンベルク家の称号を放棄し、家名を英語風のマウントバッテンに変更しました。

長女アリスは1902年ギリシャ王子アンドレアスと結婚し、ギリシア王族の一員となり、1男4女をもうけました。この1男が、現在の英国女王エリザベス2世の夫でありますエディンバラ公フィリップになります。今年2021年4月9日、フィリップはウィンザー城で亡くなりました。享年は99歳。

ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンから見るとフィリップは孫になります。孫のフィリップがギリシャ王国のケルキラ島で生まれたのは1921年6月10日、祖父のルイス・アレグザンダーが亡くなったのは同じ年の9月10日。ちょうど3か月、この世で二人は同時に生きていたことになりますが、英国とギリシアということで、祖父が孫を見ることは叶いませんでした。もちろんルイス・アレグザンダーはそのとき、このギリシア生まれの孫が、当時の英国王ジョージ5世の病弱で吃音症の発話障害をもつ次男アルバート(のちのジョージ6世)の長女と結婚し、その娘がイギリス女王となって、自分が女王の義理の祖父になろうとは夢にも思わなかったことでしょう。

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