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【百年ニュース】1920(大正9)7月7日(水)安直両派の衝突を前に、段祺瑞(安徽派)と張作霖(奉天派)が決裂。張作霖は北京郊外南苑(団河)の段祺瑞邸に招かれ、先日西北辺防司令官を罷免された徐樹錚(安徽派)に暗殺されかけた。日本政府は決裂情報察知できず。張は即奉天へ戻る。

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段祺瑞

徐樹錚

日本政府は段祺瑞が安直衝突において辺防軍を使用することを警戒した。辺防軍とは日本政府の財政援助(1918泰平組合兵器供給2,242万円+参戦借款2,000万円)および坂西利八郎少将ら日本陸軍将校により訓練された三個師団の精鋭。当初の名称は参戦軍。段祺瑞ら安徽派の管理下にあり、内戦使用禁止が公約。

坂西利八郎

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