【百年ニュース】1921(大正10)6月28日(火) 元米国司法長官チャールズ・ジョゼフ・ボナパルトが死去,享年70。セオドア・ルーズベルト大統領のもと海軍長官と司法長官を務めた。フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの甥孫。司法長官時代には調査能力の高い特別捜査官を数名採用しFBI(連邦捜査局)を創設。
元米国司法長官チャールズ・ジョゼフ・ボナパルトが死去しました。享年70でした。
チャールズ・ジョゼフは、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの末の弟であるジェローム・ボナパルト(シニア)を祖父に持ちます。父はその息子、ジェローム・ボナパルト(ジュニア)。この父ジェローム(ジュニア)が、米国ボルチモアの裕福な商人の娘、エリザベス・パターソンと結婚し、もうけたのが、このチャールズ・ジョゼフ・ボナパルトです。しかし当時すでにフランス皇帝に即位していたナポレオン・ボナパルトが、帝位継承権が米国に流出することを恐れたためこの二人の結婚を許さず、離婚させられたため、チャールズ・ジョゼフは母の実家であるパターソン家で育てられました。
のちチャールズ・ジョゼフは1872年にハーバード大学を卒業、つづいて1874年にハーバード大学法学大学院を修了し、弁護士となりました。セオドア・ルーズベルト大統領のもと、第37代の海軍長官、さらに大46代の司法長官を歴任しました。チャールズ・ジョゼフの司法長官時代の特筆される実績としては、FBIの創設があげられます。連邦政府の調査能力向上のため特別捜査官を数名採用し,司法省のなかに捜査局を作り、これがのち発展し現在のFBIになりました。
米国の連邦政府は伝統的に小さいものです。中央銀行に相当するFRBも、連邦直轄の治安機関であるFBIも、その成立は他国に比べて大幅に遅れをとりました。FBIは当初、議会が予算の承認を拒否し、司法省の小さな一部局としてスタートしました。
ロードリ・ジェフリーズ=ジョーンズ著,越智道雄訳『FBIの歴史』東洋書林,2009
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