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【百年ニュース】1920(大正9)12月11日(土) 米国の次期ハーディング政権国務長官にチャールズ・エヴァンズ・ヒューズ内定と報じられる。ヒューズは共和党の有力者で元ニューヨーク州知事のち最高裁陪席判事。1916年11月の大統領選挙で共和党候補となり民主党ウッドロウ・ウィルソンと争い僅差で敗れた。

外交に対する関心を欠く「弱い大統領」で,かつ後に歴史家から「ビジョンを欠いた二流の大統領」として評されることになるハーディングであったが,その政権の外交面での成果は乏しくない。

それは,外交全般を共和党屈指の有力者であった元ニューヨーク州知事のヒューズ国務長官に一任したからであった。

有能な人物に外交を任せることにより,ハーディング政権はウィルソンによって傷ついた日米関係を癒すことが可能だったのである。

そのヒューズ国務長官にとっての主たる関心は,日米移民問題などの厄介な個別問題にではなく,よりスケールの大きい,東アジアにおける列強間の協調体制の確立と,アメリカ経済を逼迫させていた第一次世界大戦後の建艦競争に終止符を打つことであった。

彼は,こうしたシステム・レベルでの変革によってのみ堅固な日米関係が構築できると考え,1921-22年のワシントン会議を開催した。

先のドイツとの戦争で決定的な役割を果たしながら,ウィルソンの挫折によって混迷していたアメリカ外交は,ワシントン会議を経て,ようやく図体に見合ったグローバル・リーダーとしての姿を再び現したのである。

服部龍二,蓑原俊洋「ワシントン体制」五百旗頭真編『日米関係史』有斐閣,2008,88頁

01チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ

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ワシントン会議


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